2008年12月23日火曜日

Guinee:ダカールのギニア人


ギニアコナクリの状況は非常に混沌としていて正確な状況というものが見えてきませんが、実はダカールにはたくさんのギニア人がいます。街の中心の独立広場で車を洗ってくれる人たちはほとんどギニア人ですし、床屋もギニア人が多いし、うちの前のブティックもギニア人です。ブティックは昔、セネガルとモーリタニアの関係が悪化するまではほとんどがモーリタニア人だったのですが、モーリタニア人が去った後、その後を担ったのはセネガル人ではなく、ギニア人でした。セネガル人はお世辞にも勤勉とは言えず、細かい金や在庫の管理が必要なブティック経営に必ず失敗するのです。その点、ギニア人は働き者で国の給与レベルに比べてダカールでの稼ぎははるかに多いらしいのです。
さて、今回のクーデターですがダカールの街の声は驚いたことに「いいことだ」「仕方ない」というのが多いのです。France24でもギニア人の識者を招いてインタビューしていますが、彼の意見でも「いいことだ」ということなのです。ニュースのプレゼンターが驚いて「でも民主的なプロセスによる政権交代というオプションは考えられないのか?」と質問していましたが、識者の答えは「それはこれまでに何回も試してきたが成功しなかったのだ。これでようやくギニアは圧政から脱し、正常な発展を望むことが出来る。」というものでした。
France24のサイトによると、ギニアの憲法には国家元首が死亡した場合のプロセスが明記されています。それによると、「国民議会の議長が大統領代行を務め、60日以内に大統領選挙を実施する」ということなのですが、軍隊の声明で「憲法を停止する」とあったのはこの条項を回避するためのものだったと考えられます。
このあたりにアフリカの民主化というものの幼さというか脆さというものを感じてしまいます。
故ランサナ・コンテ大統領は社会主義からギニアを脱出させましたが、その後は独裁者に変貌し、政敵のアルファ・コンデ氏をはじめとして弾圧を繰り返し、拷問などが常態化する非民主的な大統領だったということです。
-UPDATE-
現在のFrance24のお昼の報道では国民議会の議長アブバカー・ソンパレ氏の直接電話取材に成功し、この軍事クーデターを「軍の内部も分裂しており、すべての軍がクーデター側についているわけではない」と評しています。ということで、このクーデターは失敗に終わった可能性もあります。

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