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2009年5月10日日曜日

Africa:News RoundUp 5/9


チャドの続報からです。一体どことどこでいくつの戦闘があったか詳細はわからないのですが、累計としてJeune Afriqueが伝えているところでは死者247名(うちゲリラ側225名)、捕虜212名、接収した車両127台、破壊した車両93台、チャド軍側被害としては死者22名、負傷者31名、破壊された車両10台とチャド軍側の圧勝に終わっているようです。ちなみにこれはチャド政府側が発表した数字です。また、France 24のニュースではこの知らせを受けた首都ンジャメナの様子がレポートされていましたが、人々はかなり興奮した様子でした。また、スーダンとの外交関係は悪化する可能性があることも指摘されていました。

さて、そのスーダンですが、ダルフール南部で国連の平和維持要員が銃で撃たれて死ぬという事件が起きています。(AllAfrica

RDC=ルワンダですが、CNDPの指揮官だったローラン・ンクンダはルワンダからRDCへ身柄が引き渡される予定でしたが、この引き渡しは行われそうにないとAll Africa(仏語)が伝えています。また、一昨日にも伝えた北キブ州での火山噴火の可能性ですが、BBCも同様のニュースを伝えています。この記事によると噴火しそうになっているのはゴマからわずか25kmしか離れていないニャムナギラ山で、ゴマの市街からも山から噴煙や水蒸気が噴出するのが見えるそうです。付近には2002年に噴火したニラゴンゴ山があり、この噴火の際にはゴマの街の半分が破壊されました。

ガボンのボンゴ大統領が休養中の政府の責任者がDidjob Divungi Di Ndinge(ちょっと読みがわかりません)副大統領に決まったとガボン政府が発表しました。しかし、この決定には問題があるそうでガボンの憲法によれば大統領が死亡したり、45日以上不在の際には副大統領ではなく、上院議長が大統領代行をつとめると決まっているということです。(Afrique en Ligne

最後にセネガルのカザマンス地方、ビニョナ県のジナキ村(ジュルルの近く)で軍のトラックがロケットによる攻撃を受け、破壊されました。2004年の平和合意以降カザマンスには一応平和が戻っていましたが、まだ事態は予断を許さないのかもしれません。(Afrique en Ligne

2009年4月26日日曜日

Senegal:Diembéring (Casamance)


この歌に歌われてるジェンベレンとはセネガル南部のカザマンス地方、セネガルで最も美しいと言われる鳴き砂で有名なカップスキリングからちょっと北に行ったところにある村です。私も一度だけ行ったことがあります。カザマンスは本当にどこも風光明媚なところなので、ジェンベレンが特に素晴らしいということではありません。村としてはエレンキンなんかの方がずっとすてきですし、文化の香りという意味ではムロンプなどが面白いです。しかし、この歌は本当にいいと思います。セネガルのシンガーはたいていウォロフで歌うのにあえて仏語で歌っているのもいいですね。

2009年3月3日火曜日

Guinee-Bissau:暗殺の影に麻薬あり


ビサウの状況は比較的落ち着いているようです。一夜のうちにこの国の最有力者2名が死ぬという惨事の後としては考えられないくらいです。ECOWASは昨日調査団を派遣すると発表しました。(Afrique en Ligneの記事)またアメリカ、ヨーロッパに続いてセネガルのワッド大統領もビエイラ大統領の暗殺を非難しています。(Afrique en Ligneの記事)これでギニアのように軍部が政権を掌握するのか?と思ったら軍部にはそのつもりはなく、憲法にしたがって政府の再建を行うとBBCが伝えています。またギニアビサウ政府の閣僚会議は調査委員会を設置することを要請しました。(Afrique en Ligne)またAUもビサウに特使を派遣するらしく(Afrique en Ligne)、昨年12月のギニアクーデター以来、アフリカではものすごい外交合戦が繰り広げられています。
面白いのはBBCが発表しているこの記事です。これはブライマ・カマラというラジオのレポーターが目撃したビエイラ大統領暗殺現場の様子を淡々と語っているのですが、その淡々とした調子がかえって空恐ろしく気味悪いのです。これはビサウ住民がビエイラ大統領に対して抱いていた感情を反映したものなのでしょうか。話によるとビエイラ大統領の支持率は低かったそうです。また、爆死した陸軍司令官と大統領の間には長年にわたって続いた反目があり、お互いに武力を使って殺しあっただけ・・・というのが一般的な反応なのかもしれません。
しかも、今日のFrance 24の報道によると近年ギニアビサウは南米からヨーロッパへのコカインの中継地となっていたという話で、大統領をはじめとするこの国の有力者はこの取り引きに深く関わっていたとも言われています。隣のコナクリでは故コンテ大統領の息子が麻薬取り引きの罪で逮捕されています。ということで、この一連の暗殺劇は確かに麻薬を巡るマフィアの抗争(スカーフェイスのような)にも見えるのです。
とにかくギニアビサウが政治的に安定を取り戻すかどうかは少し時間がたってみないとわかりません。ただ、この機会にビサウを舞台とした麻薬取り引きのマフィアが一掃されるといいのですが・・・
ギニアビサウはセネガルのカザマンス地方と隣接しており、カザマンスのゲリラはギニアビサウとも深いつながりがあります。最近はこのゲリラも鳴りを潜めているのですが、それはギニアビサウ国境地帯にセネガル軍が相当数の部隊を駐屯させているからだともいえます。今回の混乱がまたこの地方の安定に悪い影響を与えないといいのですが。ワッド大統領もそれを気にかけているのだと思います。

2008年11月24日月曜日

Guinee-Bissau:ギニアビサウでクーデター未遂


セネガルの南にある小国ギニアビサウでクーデター未遂が起きました。
これは昨日の土曜に起きたらしいのですが、発表はセネガルのワッド大統領が今朝行いました。ギニアビサウのビエイラ大統領から電話連絡を受けたということです。
ギニアビサウでは国際機関の立ち会いのもと、国会議員選挙が去る16日に行われたばかりで、その結果は反ビエイラ大統領の大勝となっていました。実は今年7月に今回の選挙で100議席中67席を得たPAIGC党はビエイラ大統領の内閣を去り、8月にも不発に終わったクーデターがありました。ワッド大統領はビアイラ大統領に亡命の意志を確認しましたが、現在のところ亡命する意志はないということです。

さて、このギニアビサウという国ですが、成り立ちはややこしく、ギニアビサウを語るにはセネガルに南北と東を囲まれたガンビアとガンビアとギニアビサウの間のセネガル=カザマンス地方とセットで語る必要があります。この3つの地方は住む民族も似通っており、ガンビアと北部カザマンス、ギニアビサウと南部カザマンスは同じ部族に属します。現在のようにわけられたのは旧宗主国の関係でガンビアはイギリス領、セネガルはフランス領、ギニアビサウはポルトガル領だったわけですが、さらに歴史をさかのぼると、最初にギニアビサウを植民地化したのはフランス人だったのです。逆にカザマンスを最初に植民地化したのはポルトガル人でした。そして、後にフランスとポルトガルの間でカザマンスとギニアビサウが交換されたというわけです。

このややこしい植民地化が90年代に「カザマンス独立運動」として浮上します。これは最初セネガル国内の問題でした。しかし、反乱軍は時にガンビアに逃げ込み、時にギニアビサウに逃げ込み、これらの国から一種の援助を受けていたとも噂されます。ワッドが政権の座についてからは独立運動の首謀者がフランスに亡命し、実質カザマンスとの直接的つながりを失ったことなどから落ち着きを取り戻していますが、もしかしたら今回の一連のギニアビサウの不安定な状態の後ろにはこのカザマンス問題が見え隠れするような気がします。また、まことしやかに語られていた「シエラレオネ内戦の際にかの地に入り込んだ傭兵がカザマンス問題を煽っている」ということに少しでも事実に近いものがあるとすれば、その傭兵の影も今回のギニアビサウ問題に見え隠れします。今回ワッド大統領がこの問題に関わっているのもカザマンス問題を重く見ている現れかもしれません。
とにかく、これは今後もくすぶりそうな問題であります。
余談ですが、カザマンスの中心都市はジガンショールといいます。この都市はポルトガル人の植民都市だと言われていて、ジガンショール(Ziguinchor)という名前の由来について、現地語ではなくポルトガル語の「座る」というsitと「泣く」というchorarから来ているという話もあります。