2009年2月7日土曜日

Senegal:ゴレ島の「記憶」が死去


JeuneAfriqueが伝えるところによると、セネガル文化省は金曜にブーバカー・ジョゼフ・ンジャイ氏がダカールのプランシパル病院で息をひきとったと発表しました。この人は、ゴレ島(世界文化遺産)にある「奴隷の家(Maison des esclaves)」で、40年間Conservateur(いわゆる館長)として、ゴレ島の記憶を語り継いできた人です。私も2度ほどこの人の話を奴隷の家で聞いたことがありますが、非常に生々しいことをかなりあっさりと、しかしドラマチックな口調で非常に丁寧に説明してくれたのです。このスタイルはフランスには多いです。大型の美術館などではすでにイヤホンにつながった電子ガイドになってしまっていますが、この前訪れたカタコンブなどではやはりガイドの人がいてその人の説明を聞きながら回るのです。ベナンのアボメ王宮やウィダの博物館も同じで、ここなどはガイドの説明を聞かないとその魅力は半減してしまいます。つまり、ガイドをする人の話術だとか、人となりが訪問の印象を大きく左右するのです。ゴレ島の奴隷の家は考えるよりずっと小さく、こんな狭いところにそんなに多くの人が閉じ込められていたのか、とまずそれに驚きますし、周囲の家にはまだ人が住んで暮らしているのです。そして暗い裸電球で照らされたホラー映画のような奴隷の家の外にはさんさんと陽光が降り注ぎ、色とりどりのブーゲンビリアが咲き乱れ、地中海風の瀟洒な村のような全然別のゴレ島の顔がある。この対比がなぜかぞっとするのです。しかし、ゴレ島は実はそれほど大規模な奴隷の積み出し港ではなかったと言われています。人数としてはむしろ「奴隷海岸」と呼ばれていたベナンのウィダの方がずっと多いのでしょう。
話を戻しますが、ンジャイ氏は1922年にルフィスクで生まれ、セネガル兵として第二次世界大戦およびインドシナ戦争に参戦したそうです。40年間の奴隷の家勤務中に、ネルソン・マンデーラ氏、ビル・クリントン氏、ウフェット・ボワニ氏、ヨハネ・パウロ2世などの著名人を案内しました。享年86歳。ご冥福を祈ります。

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