2008年8月31日日曜日

恩師の教え

思い返せば今から20年前、ハルマタンの砂埃に霞むダカールYoff空港の海風を含んだ生温い風に包まれてタラップを降りたのが私にとって最初のアフリカの土でした。それからいろいろあって、今でもダカールにこうしているわけですが、それは忘れられない恩師のおかげです。
その頃私は大学を出たての青二才で、仕事のやり方なんて何の経験もないのにそれでも貧しいアフリカのために何かしたいという志だけはある若造だったのです。青年海外協力隊員としてセネガル政府の機関に配属されて、何もかもが新しい経験でしたが、それを「新しい経験」としてなかなか受け入れることができず、進まぬ仕事にイライラし、任地に嫌で絶望的なイメージしか見いだせないでいました。
今考えると、ただ自分が視野の狭い人間で、若い協力隊員が陥りがちな一種の拒絶反応だったのだと思いますが、その頃は必死だったわけです。
その恩師はダカールに出てきて事務所に会いに行くといつでも快く時間を割いて、際限ない私の愚痴に耳を傾けるだけでなく、全く私の考えつかなかったような提案をして、盲を開いてくれたのです。
私は大学時代映像制作をしてシナリオなども書いていたのですが、このストーリー構築という技術はあのときマイナスの影響しか及ぼしていませんでした。つまり、1つの因果律に拘束されたストーリーしか見えなくなっていたのです。「ここはこうでなければならないのに、そうなってないからダメだ」という考えです。そして、それは最終目的であるはずもなくただ1つのステップに過ぎないわけで、そのステップの次の次のステップは見えてなかったのです。恩師は、それを少し離れた場所から眺め、視点を変えて俯瞰にしたりアオリにしたりして、もっと大きな絵を私に見せようとしてくれたのです。
次第に私自身がそういう見方をするようになりましたし、そうなると複数のシナリオを考え出してそれを複合させたり逆にたどったりしながら柔軟に対応ができるようになったのです。そして現地の人とのコミュニケーションや相互理解も進んでお互いに気持ちよい形で仕事をし、生活をしていくことができるようになりました。
今考えると、恩師の教えというのは単に仕事だけにとどまらず、「生き方」全体の教えだったのかな?と思います。そして、何をするにもその教えを思い出すのです。
現状を単に否定しない・・・目の前の現実は止まることなく変わり続ける永遠のトランジションなのだということ。その中では現実の問題に対処する以上に、少し先を見据えていくつもの考えられる「可能性」を探り出し、複数のシナリオを組み立てるのが必要であること。否定からはなにも始まらないこと。現状あるいは相手を受け入れて尊重し、それが持つポテンシャルを引き出してやるのが最良の方法論であるということ。失敗は生きていく上で避けて通ることのできないことであり、失敗を恐れるのではなく、ベストを尽くした上で失敗を認めること。また、失敗はすべての終わりなのではなく、新しいストーリーのはじまりだということ。
そう考えると、自分の前にずべての可能性、すべての道が開かれていくのです。

2008年8月30日土曜日

ベナン:どんな未来が描けるのか?


私がベナンをはじめて訪れたのは今から4年前、2004年の8月でした。隣国のニジェールで働いていて休暇で行ったのですが、その時から今まで続けて感じ続けていること、それはベナンは豊かな国だという印象です。もちろん、GDPだの「人間開発指数」だのそういう数字から言えば下から数えた方が早いくらい、「貧しい」国です。
でも、そういう数字や指標では推し量れない豊かさがあるのです。それは歴史的な遺産、アフリカの独自の文化的豊かさなのかもしれません。また、ニジェールの石のゴロゴロしているだけの草も生えないようなだだっ広い土地や、セネガルの落花生栽培で疲弊してしまった土地などサヘル地方にありがちな風景と比較してベナン南部の豊かな緑は、コートジボワールほどではないにしろ、そこに暮らす人々を飢えさせない豊かさを感じさせるのかもしれません。
また、商都コトヌの熱気、その人々のバイタリティが一種の人的豊かさを感じさせるのかもしれません。
確かにベナンの人たちも、みなそれぞれ必死で仕事を探し、現金収入を探し、少ない収入のために身を粉にして働いています。でもそれはどこでも同じことです。
過去にベナンは社会主義に傾倒するという政治的なミスリードの犠牲になりました。しかし、今はその傷も癒えているように思います。ベナンの経済を考えるとき、ベナンだけ単体で取り出して語ることはほとんど意味がありません。あまり知られていないことですが、西アフリカ経済共同体ECOWAS/CEDEAOという協定を西アフリカ諸国は結んでいて、ECOWAS加盟国の間では、自由な人の行き来が保証されており、どの国で働いても構わないことになっています。だからベナンやトーゴのような小さな国でも、もっと大きな経済圏の中で孤立せずに経済発展を望めるわけです。だから、ベナンを考えるということは、ナイジェリアやトーゴ、そしてガーナなどを含めたところで考える必要があるのです。実際、コトヌからナイジェリアのラゴス、トーゴのロメは車で3時間しかかかりません。当然物資の行き来もかなり頻繁にあります。コトヌで水揚げされた中古車がナイジェリアに大量に運ばれていくのは、コトヌとポルトノヴォの間を走ると頻繁に目にする光景です。
もちろん、ナイジェリアやトーゴにはベナンと違った政治的コンテクストがあります。その違いをハンディキャップとするのでなく、有利な条件に変え、ベナンの魅力というものをうまく引き出していくことこそが、ベナンの未来を輝かせる方法ではないかと思います。

2008年8月29日金曜日

ベナン:ケータイ事情その後


ベナンのケータイ事情とその混乱については昨年5回ほど書きました。簡単にまとめると、ベナン政府と大手キャリア2社との間でケータイ事業の免許料をめぐって対立が起こり、政府はこの2社の通信を2ヶ月にわたって完全にストップしました。その後、復旧しましたがこの2社はいずれも他の会社に事業を売却しています。
現在のケータイ事情ですが、政府系のLibercom、旧Areebaを引き継いだ南アMTN、旧TelecelのMoov、BellBenin、そして最近参入したナイジェリアのGlobalCom(Glo)の5つのキャリアがこの小さな国にひしめいています。数年前には絶対的に不足していて早朝から何日も並んでやっと買えたSIMカードですが、今回はホテル近くのテレフォンセンターで簡単に買えました。価格も、数年前の20000FCFAから、ずいぶん安くなっていて、MTNが6000FCFA、BellBeninが4000FCFA、Gloに至っては1500FCFA。ただ、少しばかりトリッキーでこの1500のなかには1000FCFA分の通信料が含まれているのですが、最初に他のカードを買ってチャージしないとかけられません。
ということで、少し他の国に遅れてこの国にもケータイの大幅な一般化が起こっているわけですが、5つもキャリアがあると、知り合いよっていろんなキャリアということになり、必然的に複数のSIMカードを持つ(特にビジネスパーソンは)ことになり、複数のケータイを持っている人が増えました。また、ダブルSIMと呼ばれるSIMカードを2枚刺して、同時に2つのキャリアで使えるケータイも増えてきているようです。
ベナンのケータイ事情がややこしくなってしまったのは、国営のOPT(郵便通信局)が電話事業のオペレータとしては技術力が弱く、地上線の発達も遅れ、Libercomも新規顧客の獲得に消極的だということが原因ではないかと思われます。
実はケータイの後にインターネットを巡ってもベナンではひと波乱あったようです。以前はOPTの技術的事情によってベナンはアフリカ周回インターネット海底ケーブルに接続はされているものの、そこに事業者が接続することはできず、インターネットプロバイダはVSATなどを使った衛星接続をして、それを一般に小売りしていました。しかし政府はこの海底ケーブルの利用を決めるとともに、すべてのインターネットプロバイダはOPT (BeninTelecom)と契約しなければならない、という決まりを作ってVSATなどの使用を禁止しました。
現在、ベナンのインターネットはつながっているものの、その接続状況はかなりプアな状態だと言えると思います。ネットカフェに行ってみましたが、体感でダカールの半分くらいしか速度が出ない気がします。
インターネット接続環境がこれ以上に困難になると、例えばニジェールではケータイでインターネットするというのが普及してきているそうです。反対にセネガルなどでは簡単にネットカフェとかがあるのでケータイでインターネットしてる人は見ません。
とにかく、ベナンの通信事情はOPT (BeninTelecom) をなんとかしないと、良くならないと言うことです。
セネガルの場合、もともとSonatelは国営とはいえ、それほどひどい状態ではなかったし、FranceTelecomに買われてからは本当に良くなりました。でもベナンのOPTはセネガルで言うとSenelec(セネガルの電力会社。停電の元凶)のようなものなのでしょう。

2008年8月28日木曜日

ベナン:アボメ


翌日の朝、借りていたミニシャトーをお礼を言って引き払い、運転手の父親や家族にさよならを言ったあと、前の日と同じようにクルカメの中心にあるカフェテリアで朝食をとり、最後の目的地アボメへ発ちました。途中の道は起伏がかなり多く、きれいな緑の丘や川を渡っていく目にも楽しい道のりでした。1時間くらいでアボメに入ります。ゼミジャンに道を聞き、世界遺産のアボメ王宮を訪ねます。入場料とか一応壁に貼ってあるのですが、これに何かの税金だとかが加えられて、結局外国人は2800FCFAくらいとられます。ベナン人だと半分だったと思います。また、この王宮では写真撮影は一切禁止されているので、カメラなどは入り口のロッカーに預け入れます。
歴史博物館のサイトで、少しだけ中の様子を見ることができます。ウィダの歴史博物館と同じく、ガイドがついて全部説明してくれます。
アボメにはたくさんの王宮があるのですが、現在歴史博物館として訪問できるのはこのうちグレレ王のものとゲゾ王のものです。最近、ベアンザン王の王宮が修理されたようで、パンフレットをここで見ることができます。公開されているかはわかりません。
歴史博物館の全体はこんな感じになっています。黒い矢印で示されているのが入り口です。ピンクの部分がグレレ王の王宮、ブルーの部分がゲゾ王のものです。そして各宮は大きく分けて外宮と内宮の2つに分けられています。またそれぞれの王宮には王の墓が併設されています。これも、宗教的に王の精神と肉体が宿るとされている墓と実際に王の体が埋められている小屋があります。これらはほとんど地面につきそうなほど屋根部分が低く作られており、入り口では必ずかがまないと入れないようになっているのです。王宮の建物には着色されたレリーフがずらっと並んでいます。ベナンではこのピクトグラムによって歴史を伝えてきたのです。口伝による伝承が一般的な西アフリカにおいてこれはかなり際立った特徴と言えるでしょう。このレリーフは下の段は各王を象徴する動物(グレレ王はライオン、ゲゾ王は野牛)になっており、上段が歴史を語っています。内容はレリーフでピクトグラム化されているのであまり気にならないもののかなり血なまぐさいものです。建物の中には各王にまつわる遺物が展示されています。中でも圧巻はグレレ王の王座で、これは4つの頭蓋骨の上に備え付けられています。
グレレ王が埋葬されているという小屋に入ることができます。履物を脱ぐ必要があるのと、入り口と出口を間違えてはいけないというルールがありますが、中は結構広々していて屋根も高い円形の小屋の中央にダブルサイズのベッドが置いてあり、その前に敷物、ベッドの頭板の横あたりに、お供え物を置く小さなテーブルがありました。また、王の遺体が眠る小屋の横には、グレレ王に従って殉死した王妃達の墓があります。
さて、王宮を見た後、すぐ近くのボイコンで昼食をとりました。コトヌに向かう道のボイコンの出口にあるHotek Dakoの真ん前にあるMaquisでアグチのソースを食べました。アグチとはコートジボワールからベナンまで広い地域で食べられている野生の大きなネズミで、スモークしてあっておいしいのです。セネガルでは食べられないのでベナンにいる間に2回も食べてしまいました。

ベナン:クルカメ村



ポソトメを朝10時頃出発。運転手が「ホテルの朝飯は高い!」というので空腹なまま一路北へ向かい、ロコサ(Lokossa)へ。
写真がロコサで食べた朝食です。空腹も手伝って大変おいしかったです。ベナンでは「カフェテリア」と呼ばれて、いろんなところに鉄板で簡単に作ったスタンドがあります。セネガルにも朝食屋はあり、タンガナ(ウォロフ語で『熱い』という意味)と呼ばれていますが、たいていは長距離タクシーやバスのターミナルに、おばちゃんが座っていて、木の粗末なベンチがあるだけなので、ベナンの朝食屋は実に立派だと思います。左に見えるのがまるで学校給食のボールのようなものに注がれたコーヒーで、インスタントコーヒーちょっと、それに練乳(甘い)をガバっと入れたものにお湯を注いだものです。右手は卵にタマネギとトマトと唐辛子(生)が入ったオムレツとパン。これで650FCFAでした。セネガルのタンガナは厚いガラスのコップに同じようにコーヒーと練乳を入れてお湯を半分くらい注いだ後、先をなくしたお好み返しみたいな形になったものでシャカシャカやって泡を立てるのが多いですが、ベナンではやらないようです。
次の目的地は元々アボメだったのですが、運転手の出身村が近いから行かないか?と言うので、どうせ先を急ぐ旅でもなく、アボメにこだわるわけでもないので、行ってみることにしました。
ロコサからさらに北上するとトーゴ国境に近いアゾベ(Azove)の町に出ます。結構大きな町で、運転手によるとたくさん金持ちの商人がいるとのこと。アゾベからアボメ方面に向かい、しばらくすると右に曲がり、オフロードに入ります。そのまま20分くらい走り続けると、突然村にはそぐわない立派な4階建てのビルが出現。タイルばりの美しい外装、屋根には巨大なパラボラ、美しい塀に囲まれ、周囲は造園してあります。運転手によると、ガボンに行った商人がお金持ちになって建てたのだそうです。
さらに走り続けるとかなり大きな病院があり、そこから本格的な村に入ります。クルカメは舗装道が通ってないだけでほとんど小さな町くらいの大きさがあり、町の中心には大きなマーケットもあります。しかし・・・ホテルはありません。1つ、Maquis(食堂)についてる簡易宿泊所みたいなのを見ましたが、とても小さく汚く、多分これは村のいわゆる「ラブホ」なんじゃないかと思います。ここに泊まるというアイデアにはもちろんVetoを発動しました。あとは運転手の実家ですが、これも普通の村の家・・・しかもかなり程度の悪い方。私はあきらめかけてアボメまで行くことに傾きかけていたのですが、運転手はどうしても泊まりたいらしく、粘ります。そして実家のそばにある、今は町の中に住んでいる弟が建てたミニシャトーを探してきました。これはその弟の父親の家のある敷地の中にさらに塀を巡らした中にある2階建ての建物で、父親の家は普通の村の家なのに、そのシャトーの2階は狭いけどタイルばりの居間、涼しいベランダ、衛星テレビ、ちゃんとしたベッド、それにちゃんと水の出るシャワールームまで完備しているのです。これはさすがにOKしました。
夕食は運転手の別の弟の家族が作ってくれたベクイソースにトウモロコシのパテをバーに持ち込んで食べました。このトウモロコシのパテ、保温ジャーに入っていてあつあつ。フトゥに似ていますが、もっと流動性があってとてもおいしかったです。トウモロコシといえば、よくコトヌで売ってる葉っぱに包まれたゼリーみたいな「アカサ」しか知らなかったので、これは大発見です。アカサはちょっと酸味と独特の臭いがあるのでちょっと苦手です。
クルカメは農業、そして商売で成り立っている村のようです。セネガルにも、たまに村なのにやたら立派な建物があることはありますが、クルカメほどではありません。そして、そういうのはたいていが共同出資のモスクだったりするので個人の家ではありません。
運転手もお金が貯まったら、きっと村にちゃんとした立派な家を建てるんだ、と言っていました。このあたり、少々セネガル人とベナン人は違う気がします。実際、ガボンに行った豪商だけでなく、クルカメには本当に村とは不釣り合いな豪邸がいくつもあるのです。

2008年8月27日水曜日

ベナン:グランポポ&ポソトメ



ウィダからさらに西にトーゴ方面に走って行くと、右手にアエメ湖が見えてきます。このアエメ湖の近くの国道沿いのマーケットに車を止めると、物売りのおばちゃんがわさわさ寄ってきます。手に手に商品を持っているのですが、アエメ湖でとれたてのエビを揚げたもの、そして小魚(わかさぎみたいな感じ)に軽い衣をつけて揚げたものも売っています。これを500FCFA分買って運転手と食べたのですが、すごくおいしかったです。頭からしっぽまで丸のままバリバリ食べられて、いかにもカルシウムを摂ってる・・・って感じです。

アエメ湖を通り過ぎるとまもなく料金所があります。ここで200CFA払って通り過ぎると、しばらくして目の前に素晴らしいココ椰子の林と小さなラグーンといういかにもトロピカルな風景が広がります。ここがグランポポの入り口です。ラグーンの水は静かで、小型の紫の花をつける睡蓮のような植物に半分覆われています。グランポポに入ってしまうと、普通の海岸にありがちなリゾート村になります。ウィダのように集まった街ではなく、なんかだらっと広がった村。ここにはAuberge de Grand PopoとHotel Awale Plageという2つのメインの宿泊施設がありますが、いずれも小さくそれほど高くもありません。
今回、このHotel Awale Plageで昼食をとりました。運転手と一緒に食べたのですが、Poisson Fon(フォン風の魚)とGbekui Poisson(魚のベクイ)を1つづつとって半分づつわけて両方食べました。Poisson Fonは比較的あっさりしたトマト味のソースで、魚を煮込んであります。ベクイソースはトーゴ発祥らしいのですが、ベナンの現地料理では代表的なものの1つです。これは具が魚だったり肉だったりいろいろあるのですが、共通するのはEpinard(ホウレンソウ)と呼ばれるちょっと苦みのある葉っぱをたくさん入れることです。Awale Plageのベクイは赤いパームオイルを結構使ってあってかなり重厚で魚は油で揚げてありました。
さて、昼にもうGrand Popoについてしまったので、ここで泊まるのはなんとなく時間がもったいないので、アエメ湖に面したポソトメまで行くことにしました。国道をコトヌに向かってコメ(Come)まで戻り、そこから少し北上してすぐ右に曲がると、本当にすぐポソトメの村に出ます。ポソトメはベナン人やベナンを旅行した人なら必ず聞いたことのあるなじみ深い名前です。というのは、ここで湧き出る水がミネラルウォーターとして売られているからです。よく略して「ポソ」と呼ばれます。この水はVolvicに似ていて、とても飲みやすく、ガス入りのと普通のと2種類あります(これは珍しい)。で、瓶を読むとEau Minerale Thermale Naturelleと書いてあるので、ポソトメの水源は「温泉」らしいのです。ポソトメの村に入り、湖岸に降りて行く道の入り口にこの水をボトリングする工場があります。ちなみにPossotomeにはフランスのVichy International社(Volvicを作ってる会社ですね)が協力しているようです。
湖岸に降りてしばらくすると水の取水地があり、その横の水場で村の人がパイプから落ちてくる水を生活水としてバケツに汲んでいます。
さらに少し行くとココヤシの林にたたずむVillage de Ahemeというホテルにつきます。
このアエメ湖岸に面したホテルは終末はコトヌから訪れる人で混むそうですが平日だったので他に客がいませんでしたが、しっかりした建物で、ウィダのAuberge de Diasporaなんかよりもずっと高級な感じがするのですが、値段はほとんど同じです。部屋は大きめのバンガロウに2つ〜4つのアパートメントになっていて、20000FCFA台の部屋だととても広々しています。また水の都らしくバスルームも広々してバスタブまでついています。レストランはいまいちでしたがバーの値段も安く、全体的にC/Pの高いホテルだと思います。湖岸に置かれたビーチチェアに座って湖岸をわたる涼しい風に吹かれるのは、海岸とはまた違った爽やかさです。
注意としては、淡水湖なので夜になると蚊が出ます。特にこのホテルはガーデン風で木が多いので部屋にも蚊がいます。一応ホテルの方で夕食中に殺虫剤をまいてくれますが、自分でも持っておくといいかもしれません。
シャワーを浴びるとき気がついたのですが、冷水をひねるとぬるま湯が出ます。やっぱり、ポソトメの水は温泉でした。しかも、飲むとうまい!まさに瓶入りのポソトメそのもの。

2008年8月26日火曜日

ベナン:コトヌ&ウィダ


まずは観光編。ベナンには見るところがたくさんあるので、いくつか紹介します。まず、第一の都市コトヌですが、ここはいわゆる「商都」であり、比較的新しい街なので歴史的に見るところというのはあまりありません。普通のアフリカの都市です。コトヌの北に広がるヌクエ湖はHotel du Lacの前を通っている川を通じて海とつながっています。そして、ホテルからエクスカーションが出ているのですが、このヌクエ湖の水上村ガンビエツアーです。私はたいして面白いとも思わなかったので一度しか行ってません。
それよりは、コトヌの西20kmくらいのところにある歴史都市ウィダがおすすめです。ここは国道で行く方法と、コトヌのフィジロセ地区からビーチ伝いにオフロードを行く方法があります。ここは奴隷貿易の時代に奴隷を集めて積み出していたところです。ポルトガルの要塞跡が歴史博物館になっていて、ベナンの奴隷貿易の歴史をたどることができます。フランス時代の要塞は焼失していて、ポルトガルのが残っています。そして、この要塞跡から海岸まで2kmくらいの道が奴隷を船まで歩かせた道なのです。海岸に出るところにPorte de Non Retour(引き返せない門)という記念碑があります。この門のすぐ左にAuberge de Diasporaという宿泊施設があり、リーズナブルな価格で泊まることができます。一番高いエアコンつきのバンガロウでも25000CFA。レストラン、バー、プールもあり敷地も広く、開放的です。また、門を右に曲がってしばらく行くとCasa del Papaというベナン最大のリゾートがあります。ここはかなり高いですが。私は今回Auberge de Diasporaに1泊しました。さて、ウィダの街にはもう1つ見所があって、それは街の大聖堂の真ん前にあるヘビ寺Temple de Pythonです。ベナンはブードゥー教発祥の地と言われており、ここの呪術が奴隷とともにカリブやブラジルに渡ったと言われています。ベナンではVodoun(ヴォドゥン)と呼ばれます。この土着の宗教がキリスト教と共存しているのが特徴なのです。このヘビ寺に祀られているのはirokoというヴォドゥンで、大きな木にからみつき植物(イチヂクのような)がからんだ神木の前に祭壇があります。またヘビはこの街の守り神で、irokoの向かって右に小屋が建てられていてその中にいっぱいいます。夜には放されて町中に出て行き、ネズミなどを補食すると言われています。また、説明してくれるガイドがこのヘビを首にかけてくれるのです。ひんやりしていて気持ちいいしおとなしいヘビなので危険はありません。ダカールの動物園などだと、ヘビはなんか穴の中にトグロを巻いているだけで、臭いしとても触れるものではありませんが、このヘビ寺のヘビ小屋はとてもきれいに掃除されていて、臭いもなくちゃんと世話をされ、大切にされているのがわかります。ベナン人はきれい好きで町中にもあまりゴミが落ちていません。あらゆるところがゴミ箱なダカールと比べるととても街がきれいです。
また、この現地宗教の拠点であるヘビ寺とカトリックの大聖堂が向かい合って存在するのは、この2つがベナンの社会の中で共生しているというシンボルなのだそうです。ちなみにヘビ寺の入場料は1000CFA、写真を撮る場合は別に5000CFA取られます。

ベナンでのバケーション


10日間、ベナンへバケーションに行ってきました。おいしいものを一杯食べて、地方にも旅行をして、アフリカの文化にも触れる有意義な楽しい旅でした。ベナンに行くにはダカールからだと飛行機で5時間。今回はAir Senegal Internationalを使ってアビジャン経由で行きましたが、最近この会社はとにかく遅れる。まだ、昔のAir Afriqueほど遅れるわけではありませんが、たいてい30分〜2時間は遅れます。それ以外だと新しいCompagnie Aerienne du Mali(マリ航空)がダカール=バマコ=コトヌ=リーブルビルを就航させているので、これが良さそうです。機体も見ましたがMD-80でした。セネガル航空はボーイング737です。私はどちらかというとMD-80の方が好きです。これは離陸時にかなりGを感じる飛行機で、「飛ぶ」感じがするんですね。
アビジャンでは45分しか止まらないので、機内に閉じ込められたままなのですが、このアビジャンの空港はこの付近では一番モダンで、きれいな空港だと思います。ダカールのLSS空港も最近、出発ターミナルを新築してこちらは良くなりましたが、そこを一歩出るととにかく暗くて狭くて・・・
コトヌの空港はもっと狭いゴチャゴチャした空港です。
さて、ダカールに行くにはビザとかいらないのですが、ベナンに行くにはビザがいります。これはアフリカでとるのが一番簡単なようです。日本でとろうとするとインビテーションレターがいるとかなんやかんや言われるようです。ダカールでは即日ビザがもらえました。20000FCFAかかります。前にニアメでとったときは翌日もらえました。
あと、コトヌの問題は交通です。普通はゼミジャンというバイクタクシーに2人乗りして移動するのですが、荷物があると無理。空港にさえタクシーはありません。知り合いに迎えにきてもらうか、最初の数日だけでもホテルをとって、ホテルのリムジンに迎えに来てもらうのがおすすめです。コトヌにはインターネットから予約できるホテルがいくつかあります。まずはフランスAccorホテルチェーンのNovotelとIbisがあります。でも私のおすすめはHotel du Lacです。ここは値段的には40000FCFA/泊とIbisと同じ値段で、街の中心まで歩いて行けて、いいレストランとちゃんと泳げるプールがあり、すぐ近くにスーパーやケータイのSIMなどを売っている店もあるのです。Novotel/Ibisだとホテルから出るのにすでに交通機関が必要です。また、この3つのホテルではカードで支払いが可能なので、楽です。
ダカールだとメインの銀行のATMがいろんな銀行網につながっていて、日本の口座から現金を出したり、VISAでキャッシングできますが、ベナンではそういうことが全然できません。現金で持って行くか、TCをBank of Africaで現金化するしかありません。しかもとてもレートが悪いです。
Hotel du Lacの問題点は、出たところがAkpakpaのちょっとあんまりガラの良くない地域に近いので、アフリカに慣れていない人は少々怖いと感じるかもしれないところです。
そういえば、ベナンでは必ず入国手続きの前にイエローカードをチェックされますので、必ず持って行くことが必要です。ダカールは最近チェックありませんね・・・
旅行の詳細はまたぼちぼち書くことにします。

2008年8月12日火曜日

コートジボワール料理2


日曜の昼に、イヴォアリアンの友達がレストランでごちそうしてくれました。
食べたのはソースグレンにバナナのフトゥです。これはコートジボワール料理の中でも最も手がかかるものじゃないかと思います。
ソースグレンは訳すと「種子のソース」ですが、この種子とはアブラヤシの種子のことです。このあたりにはヤシ科の植物がいくつかありますが、いわゆる海岸地帯に生えるココヤシの他に、パルミラヤシ:これは葉っぱが扇のような形をしています、とアブラヤシが主要なヤシです。アブラヤシの実はココとは全然似ていません。真っ赤な2センチくらいの弾丸のような形をした硬い実がびっしりとブドウのようになるのです。これを収穫し、グツグツ煮て油を抽出したものがセネガルでドゥーティールと呼ばれる真っ赤なヤシ油です。
セネガルでは南部のカザマンス地方を除いて、アブラヤシが少ないので料理にはこのすでに油になったものを使いますが、コートジボワールなど生のアブラヤシの実がふんだんに手に入るところでは、実のまま使います。
カザマンスでも同じような料理があり、フィータフと呼ばれますが作り方および料理形態がソースグレンとは全く違います。
ソースグレンはヤシの実をグツグツ煮たあと、杵でついてつぶし、それを漉します。そして、肉を煮込みます。野菜は入ってないことが多いですね。そうすると、なんとなくカレーのような、というかまったりとした濃いポタージュのようなものに仕上げるのです。
バナナのフトゥはバナナを蒸して、杵でつき、丸いもちのような、スフレのようなものに仕上げます。
ということで、時間がかかるらしく、1時間くらい待たされたので食べるときにあわてて写真とるのを忘れてしまいました・・・
このレストランの場所ですが、スンベジウンのみやげもの村の右にちょっと入っていくところがあってそれを奥までいくと右側にあるCajafoulというレストランです。昼はこういったコートジボワールの料理(ソース系)と魚のブレゼなどが食べられます。夜はケジェヌとか魚のブレゼや焼き魚など。昼はだいたい2000CFA(約500円)、夜は3500CFA(約750円)くらいです。私が行った時はソースグレンの他、ソースオベルジン(コートジボワールの苦い茄子のソース)、ソースゴンボ(オクラのソース)があり、付け合わせはバナナのフトゥの他、キャッサバのフトゥ、プラカリ(これ、よくわかりません)、あと白飯がありました。また、深夜には「マキ」のようなナイトクラブになるようです。

2008年8月10日日曜日

MacはWindowsより高いか?

GIZMONO JAPANの記事から。

これまた、定量型評価によるミスリーディングのような記事が出ましたね。GIZMODO JAPANは本家をそのまま訳しているわけではなく、JAPANのスタッフがピックアップして記事内容も独自に書いているようで、本家が持っているようなニュースソースとしての役目を期待してはいけませんね。どちらかというと「朝のワイドショー」的なものだと思った方がいいみたいです。

さて、いくつか指摘しておきましょう。

1. MacOSはWindows Vistaより安い。
パッケージソフトとして見ればVistaの方が倍以上します。

2. MacとWin機は価格設定方法が違う
MacはAppleが決めた価格で売られていますが、Win機はほとんど「オープン価格」です。どこで、値引きが行われているのかわかりません。Vistaのパッケージ価格を考えるとハードの価格がゼロに近いこともありますが、MSも大量のライセンスを売る時はダンピングするのでしょう。

2. 永続的なコスト
この調べでは導入時のコストだけを比較しています。しかし、PCは導入後もあれこれコストがかかるもの。まず、Windowsにはアンチウイルスが必須です。これは定期的になんやかんや金を請求されます。また、ハードを完全にコントロールするMacOSに対してWindowsは直接ハードをコントロールできません。各ハードメーカのBIOSが行うのですが、格安PCはこのあたりがかなりチープな仕様で、いつでもファンがビュンビュン回り続けるなど、電気代がかさみます。スペックの高いCPUはそれだけ電気食いであることも忘れてはいけません。また、MacOSは単一仕様ですがWindowsにはいくつもバージョンがあり、安いものは機能制限がかかっています。これをアップグレードするにはかなり金がかかります。あるいはフリーのLinuxに乗り換えるという手もありますがかなり手間ですし、Win機ではなくなってしまいます。
つまり、導入時にケチっても長い目で見るとより出費がかさむことがわかると思います。

単にコストという点から見れば、安いPCノート(中古でもいい)を買ってLinuxを導入し、Windowsは使わないというのが一番コストパフォーマンスがいいと思います。逆に新品のWindowsデスクトップは一番金食い虫でしょう。
Macが売れている背景にはGIZMODO JAPANが言っているように「金持ちが増えた」のではなく、Macが持つ「バランス」が評価されているのだと思います。
リンク先のApple Styleさんのサイトには、この話題について他のAppleブロガーさんたちのエントリーがあります。皆さん、いろんな切り口から見ていて面白いです。

OLPC:消えた夢


今年の5月に「OLPCはもう終わり?」と書いた直後に、新しいコンセプトが発表されて少しだけ期待しました、やっぱりOLPCはもう終わりなのかもしれません。それは一向に本格的に生産、出荷されている気配がないのに、もうすでにOLPCハード構成が古くさいものに成り果てているからです。これでは、子供にさえアピールしないでしょう。それに、何度も書いていますがOLPCの成功の鍵を握るのはオンラインサービスです。これまたいっこうに始まる気配すらない。これでは全くOLPCは孤立したただ安っぽいだけのPCです。

大変残念ですが、OLPCはミスリードされた、有望なプロジェクトに終わってしまいそうです。
その事態を招いてしまったのは1つにネグロポンテ氏のワンマンぶりがあるでしょう。
ワンマンのカリスマ経営者は悪いものではありませんし、IT業界にはそんなに珍しいものでもありません。AppleのSteve Jobs氏もMSのBill Gates氏もそうだと言えるでしょう。またUbuntuのMark Shuttleworth氏も言ってみればそうだと言えます。
しかしネグロポンテ氏はすべてをミスリードしてしまったように見受けられます。
ハードの開発にあまりにも長い時間とリソースをつぎこんだこと、かたくなに商業ベースのパートナーを拒んだこと、そしてマーケットとの融合を拒んだこと。このミスリーディングによってハードの価格を目標の100ドルはおろかその倍近い180ドルにしか押さえることができなかった。また、途上国政府の支払い能力を過信したために、実際には金が入らず、ハードの生産が思うようにできなかった。そしてSugar UIの思わぬ落とし穴。さらに追い討ちをかけるように低価格ラップトップが登場し、商業ベースに乗ってマーケットを席巻、それによってこのジャンルのハードが急速に発達、低価格化が進んだこと。最終的にはユーザの要望に屈し、XPを搭載することになったこと。
しかしXPすら、OLPCでは遅いこと。

もちろん、OLPCのコンセプトは大きな影響力がありました。これがなければASUS Eeeはなかったでしょう。低価格ラップトップのマーケットもなかったでしょう。だからこそ、OLPCが大きな規模で、展開できないでいるのが非常に残念です。もっとタイムリーにいろんな決断をしていたら、今は本当に100ドルで途上国の子供達がOLPCを手にしていたのかもしれません。また、OLPCプロジェクトが直接途上国政府とやり取りするのでなく、国際機関だとか政府系援助機関やNGOなど、途上国において事業を展開するのに慣れている機関の手を借りれば、資金調達やインプリメンテーションももっとスムーズに行ったはずです。
今でもコンセプト的に共感する人は多いし、実際インテルなどの企業がパイロットプロジェクトを展開しています。今後もこれが単に消え去ってしまう夢でなく、たくさんの人が見続ける夢になっていってほしいと思います。

2008年8月9日土曜日

ガーナの家電ゴミ問題


France24をテレビで見ていたらルポルタージュがありました。
欧州をはじめとする先進国の中古家電が大量にガーナに輸入され、その大半がゴミとして不法投棄されて環境問題に発展しているというものです。
難しい問題です。実際アフリカはそれらの中古家電、特にコンピュータ機器は必要としています。前にも書いたことがありますが、アフリカで新品を買おうとすれば、それは先進国で買うよりもかなり高くつきます。今週のはじめ、町中に出る用事があって、ついでにいくつかの店を見てきたのですが、誇らしげに置いてあったiMac G5 20inchの新品、100万CFA(約25万円)で売っていました。
世界で最も収入レベルの低いアフリカで、これらのエレクトロニクスは世界でほとんど最も高い価格で売られているわけです。
これは、その出費に見合う仕事に使うデザイナーとかしか、広告会社しか買うことができないでしょう。そして、この基本的なコストはデザインの契約コストに反映されます。つまり、デザインのコストも上がってしまう。
よって、人々の関心は少しでも安く買える中古に当然行きます。実際、新聞広告などでよくPentium 3やPentium 4を売っているのをよく見ます。これでもだいたい1万5千円くらいが最低の値段です。ここらあたりのネットカフェに行くと、たいていがこういうPCを使っています。CYVOGUEのようにほとんど全部が新品というところはありません。そんなことをすれば、利益が絶対にでません。
これらのPCはガーナと同じように先進国の中古品なのです。それが立派に活躍している。
だから、これらは必要なものなのです。

しかし、先進国でこれらを送る際になんでもかんでもとにかく出してしまえ!という感じで出してしまうために、使えないただのゴミがかなりの割合で混じるのが問題なわけです。しかし、これをしっかりスクリーニングしようとすると、それは即コストにはねかえってくる。
あとは、ガーナをはじめとするアフリカで、これらのゴミの処理をすることができないということです。先進国でさえリサイクルは進まず、その結果としてこういうゴミ輸出と言われてしまう現状なのですから、アフリカにこれらのゴミを処理することができるはずはない。
これらのゴミの中にはレアメタルが含まれていて、抽出できれば売ることができるのですが、それにものすごくコストがかかってしまうと言われています。
私もこのプロセスについてはよく知らないのですが、このコストの内訳はどうなっているのでしょう?
もし、それが製品を分解し、分別するための「人件費」であるのなら、その部分を例えばアフリカにアウトソーシングすることも可能なのではないでしょうか?製品の形のゴミを、人件費の安いアフリカに大量に送り、アフリカで使えるものは使い、その他のものは徹底的に分解、分別し、レアメタルやプラスチックなどのリサイクルができるものを先進国に送り返すわけです。
そういう「生態系」を作っていくわけです。

もちろん、ことはそんなに簡単なものではないでしょうし、これが採算性のとれる事業なのかもわかりません。でも、いくつかの面白い点はあると思います。品物がたくさんアフリカに入ること、分別作業などで雇用を作り出せること、先進国にとってはは低コストで家電ゴミ問題を解決できることです。環境問題や法的な問題から、このゴミ輸出問題を捉えるのも間違ってはいないと思います。でも、それを声高に叫んだところでいったい誰かが得をするのでしょうか?それは単に問題を押し込めるだけで、実際的、技術的な解決に全然つながらないというのも事実だと思います。

まず、公共機関への協力として家電分解の人力プラントを作ってみたらどうでしょうか?少ないながらも家電ゴミはアフリカでも出ます。
パイロットを行って成功したら、規模を広げればいいのだと思います。それがビジネス的に成り立つことがわかれば、現地資本も先進国の資本も入るのではないでしょうか。

Sony Ericsson T700


これは久々に欲しいと思うケータイが出ました。最近のSony Ericssonはどうも気に入らなかったし、高機能になるとWin Mobileになっちゃったりして全然欲しいと思わなかったのですが・・・
ここらあたりでは、ケータイに求められるのは通話とSMS。これが確実、迅速にできること。次に薄くて軽いことです。
それを全部持っているのがこういうベーシックなキャンディバースタイルのケータイなのです。
多分、慣れの問題なのでしょうが、私にはなぜかNOKIAのケータイのメニューの整理の仕方とか、設定のヒエラルキーがいまいちしっくりと来ないのです。SamsungやLGも見た目はすごく好きでも、操作してみると「なんか違う」と言うのがほとんどで、3年前に買ったSony EricssonのK750iをまだ使い続けています。これはデザインも好きですが、なんと言っても操作しやすく、メニューがどこまで行っても同じ操作方法で統一されていて、わからなくても「こうかな?」とやっていくと難なく目的の機能にたどりつけるのです。
発売は今年の第4四半期らしいので、市場に出回るのは来年・・・

企業のためのLinux


arstechnicaの記事より。
昨日のIBMのアプローチにも関係あるのですが、サンフランで開かれているLinux World Expoでコミュニティ開発されたLinuxの企業導入がもたらすインパクトについてアナリストのJay Lyman氏が語ったようです。
Lyman氏の分析によると、Ubuntu等のコミュニティ開発されたディストリビューションの成熟は、企業が自前の技術者によって保守することが可能なレベルに至り、これまでの商業ベースの保守契約を必要としたRed HatやNovellに頼る必要がなくなった、ということです。

確かにLinuxなどのオープンソースと商業ベースのサービスというのは一見相反するように見えるものです。確かにデスクトップだけに限ればそうかもしれませんが、サーバを含むサービス全体で考えれば、プロフェッショナルなサポートが必要なのは当然だしそれは必然的に商業ベースのものになってしまいます。LinuxデスクトップではUbuntuがポピュラーですが、こういう企業向けソリューションではRed HatやNovellが先行しています。しかし、サーバ部分はRed HatにまかせてデスクトップをRed Hatの移植であるCentOSに移行する企業も増えているとのことです。また、デスクトップ向けというイメージのあるUbuntuもサーババージョンがほとんどRed Hatなどと比べて遜色のないものになっていること、またCanonicalが商業ベースでのサポートを行うことをアピールしています。

Linuxのディストリビューションは非常に柔軟で、企業にのニーズに合致したカスタムバージョンを容易に作ることができます。
実際、GoogleでUbuntuをカスタマイズしたGoobuntuが使われているのは有名な話です。しかも、同じOSがかなり多種多様かつパワーもさまざまなマシン環境で動かすことができます。例えば、通常のオフィスワークを行うだけならPentium 3でもUbuntuは難なく動きます。
しかし、グラフィック作業を行うとか動画を扱うとなると、もう少しパワーが必要になりますが、Vistaほどマシンスペックを必要としません。今回、MSがXPからVistaに企業ユーザを移行させようとしてかなり難航していますが、これは基本的にVistaへの移行がマシンの大幅な入れ替えという出血を伴うからでしょう。通常のオフィス業務を行うパソコンにそれほどのスペックのマシンは通常いらないのです。

2008年8月7日木曜日

Big Blue動く

@ITの記事より。
IBMが企業向けデスクトップソリューションとしてMSフリーのPCを提供していくと発表。メインターゲットは自治体・金融機関・教育機関ということです。
IBMはPCハードウェア部門をLenovoに売却、コンシューマ向けPC販売からは撤退していますが、その裏でこんな作戦を練っていたのですね。OCCSというLotusグループウェアスイートをEclipseというオープンな開発プラットフォームの上に置くことで、いろんなハードウェアで動作するグループウェアを開発していたようです。知りませんでしたが、かなり鋭いですね。

今までも、ASASTEKのEeeにカスタマイズされたXubuntuが搭載されたり、CloudbookのgOS、そしてDELLがUbuntu搭載PCを販売するなど、MSフリーの動きはあったものの、局地的なものにすぎず、またそれは「趣味性の高いもの」とされていた節があります。
そして、MSの最も忠実なユーザは「企業ユーザ」です。これは、各クライアントPCからサーバソリューションまでかなり幅広いレベルの製品を扱うユーザで、しかもかなり資金を潤沢に使える類いのユーザなのです。
今回のIBMの発表は、このMSの「本丸」に宣戦布告したのと同じ・・・なんじゃないでしょうか?

個人的な考えでは、たとえ業務用であっても、PCは個人的なもの、つまりユーザに帰属するものであるべきだと思います。(言い換えれば体の一部みたいなもんです)だから、ユーザが使い慣れた環境、ユーザの個人的な業務環境で、グループウェアが使えるというのが理想なのではないかと思います。その方が業務効率も上がりますしね。今までさんざん言われてきた「セキュリティの問題」は確かにあります。しかし、このセキュリティに完璧はあり得ない。いくら文書を保護したとしても、データは基本的にエクスポート可能なもの(でないと使い物にならない)だし、USBメモリは言うまでもなく、メールだとかいくらでも出口があるのです。システム上の問題というよりむしろ、個人の責任に帰するものだと思います。
今回のIBMのソリューションではこの個人的環境を業務で活かすことが可能になる。
しかも、従来通りWinでも使えるのですから移行も簡単でしょう。当然Macでも使えるようです。

さらに、デスクトップはUbuntu、SUSE、REDHATをラインアップ。ほとんど最強です。

余談ですが、一昨日Vistaの持ち込みがあって、これがWiFiにつながらず、苦労したのですが・・・VistaはUIの悪夢ですね。
「Windowsは有効なネットワークを検出できませんでした。」としか言わない。そんなの見ればわかるんです。どこがおかしいのか知りたいのに・・・で、Mac OSやUbuntuではネットワーク関係のいわゆる「プロパティ」を開くと、使ってないものも無効なものも全部表示するんです。だからこそ、どこに問題があるのかわかる。でもVistaは有効なもの、動いてるものしか表示しないのです。あとは存在すらわからない。もちろん、ハードウエア(例えばWiFiカードの)プロパティも表示できません。
最終的に、アマドウを呼んで解決しましたが、アマドウ曰く「こうやって、技術者を呼んで、高い技術料を請求できる」んだそうです。
なるほど・・・
それがMSの「エコシステム」というわけですね。

2008年8月6日水曜日

PB G4のモデムでFaxを送る

FAXなんて、このメールやWeb全盛の時代に普段使わなくなってしまって、特に現行のMacにはもうモデムさえついていません。
昨日、ちょっとFaxを送らなければいけないことがあって、やり方を見つけたので備忘録として書いておきます。
PBG4 Alminium + Tigerの環境です。

1. モデムを設定:システム環境設定→プリントとFAX→プリンタを追加→Optionを押しながら「その他のプリンタ」をクリック→上のポップアップから「詳細」を選ぶ。その下のポップアップでモデムを選択。(PPDの選択が必要な場合はシステムのライブラリから)

2. 送りたい書類を開く→印刷→PDFの項目からPDFをFAXを選択→宛先、発信元を入力して、モデムをオンラインにし、発信。

昔はFaxStfとか使ってたけど、今はサードパーティ製を使わなくてもFAXできるんですね。

Photoshopperの憂鬱


MacといえばPhotoshop、PhotoshopといえばMacと言うくらいMacとPhotoshopは切り離せないものです。今でこそ、WinでPhotoshopを使う人も増えましたが、あのチラチラ/フラフラするカーソルとなんだかおかしな色合いの画面でちゃんとPhotoshopできるのであれば尊敬してしまいます。もともとはPhotoshopはMac専用のアプリケーションでした。
かく言う私もVer. 3.0からのPhotoshopユーザなのです。現在は初心者の人にはGIMPを勧めているんですが・・・なぜかというと、まずもってPhotoshopは敷居の高いアプリケーションですし、初心者の人にはGIMPの方が合っていると思うのと、あとGIMP→Photoshopは簡単に移行できますがその逆はかなり苦しいからです。
さて、Photoshopはピクセル画像の操作において、ある意味「万能感」を与えてくれるソフトです。本当に恐ろしいほどなんでもできてしまう。しかも、かなり簡単に・・・
中にはそれこそ、何もないところから雲フィルタを使ってリアルなテクスチャを作ってしまったりする、恐ろしいテクを持ったPhotoshopperもいます。
そして、Photoshopper達は時に自らのテクに酔ってしまうこともあります。
酔っぱらうと、Photoshopのバーチャルな世界の中で、ディテールを見逃したり、テクに溺れてとんでもないシュールなモノを作ってしまったりするのです。特に合成に手を出すと、そのプロセスの中で「リアルさ」というものがなんだかわからなくなってしまうのです。

そういうPhotoshopperたちの悲劇的作品を集めたブログがあります。Photoshopdisasterと名付けられたサイトがそれです。
スタンプツールを使ったのが丸わかりだったり、下手な合成はもちろん、レタッチのプロセスの中で、元画像を消し忘れていたり、パースが狂ったりするもの、モデルのスタイルをよくしようとするあまりバービー人形や宇宙人になってしまったもの、宙に手が浮いてたりする心霊写真じみたもの等々、なんか見ているとこう悲喜こもごもな人間模様が垣間見えるような気がします。

やっぱりPhotoshopってものすごく奥が深いアプリケーションなのですね。

2008年8月5日火曜日

MS、オープンソース等に言及

Cnetの記事から。
MSがSEC(米証券取引委員会)に出した年次報告書の中の"Challenges to our business model may reduce our revenues and operating margins"という章の記述で、オープンソースがMSの収益低下につながるという可能性を示唆し、GoogleなどのオンラインサービスにMSもリソースをつぎ込んでいることを述べ、Appleのようなハード/ソフト統合企業とのビジネス戦略の違いを主張している、というものです。
全体として最初の感想はMSもそういう現状認識はもっているんだ、と感心しました。
しかし、いくつか突っ込んでおきたい点もあります。
まず、オープンソースに関して言えば、MSの言及しているのがオープンソースを統合したデスクトップorサーバ環境のことだということです。しかし、オープンソースソフトウエアは現在ではあらゆるところにあり、埋め込みOSからサーバの基幹となるアプリケーションまでオープンソースなわけです。MSの製品もオープンソースを使っていないかというと、そうではないし、MSは例えばApatchに対して協力さえしている。そのようにいろんなレベルで展開しているものに対して単なるマーケットシェアの視点から対策を練ることはできないと思います。90%以上のマーケットシェアを持っている企業は必然的にそれを失うことしか未来にはあり得ないのではないでしょうか?そうしたときにどのようにその損失分を別事業の展開によって利益に変えることができるか、それが底力というものです。
次にSaaSですが、これについてはYahoo買収劇を出すまでもなく、MSの戦略は行き詰まっているようです。これは、MSの根本的なビジネスモデルとこのSaasモデルが相反してしまうというジレンマがあるからだと思います。Adobeなんかも同じ問題を抱えているわけですが、Adobeの方がうまくやっているように見えますね。Appleはこの分野に関しては今「深く静かに潜航・・・」という感じですが。
そして最後の「ビジネス戦略の違い」ですが・・・これはMSはわかってないな、と感じました。エコシステムの捉え方そのものが古いんです。MSのエコシステムは「囲い込み」そして「移植」に終始するフェーズに入ってます。MSに一番必要なこと、それは新しいプラットフォームを開発して新しいエコシステムを作ろうとする「意思」なんじゃないでしょうか?Yahoo潰しに何億ドルという資金をつぎ込むのであれば、短期的な営業利益を減らしたとしても、新しいビジネスモデル、プラットフォームに投資した方がマシというものです。
問題はそれだけの技術的基盤があるかということでしょう。
それこそ、MSのファンボーイ達を活躍させて、何かの後追いとか、○○キラーとかではない、全く新しいプラットフォームを作るのが、MSの「使命」であるともいえるでしょう。
それができないなら、徐々にオープンソースやSaaSに食われて衰退するしか道はないのではないかと思います。

漆喰塗り


ダカールでは本格的な雨期に入りました。ほぼ毎日厚い雲が広がって、湿度もものすごく上がっています。気温自体は30度をまわることが少なくなって過ごしやすいといえば過ごしやすいです。先日ガーデニングのところで書いたのですが、屋根に漆喰を塗りました。漆喰とは言っても日本の漆喰壁ほど凝ったものではなく、ただの焼結石灰を水に溶いて塗るだけなんですが、普通のポリマー系ペイントに比べて値段がすごく安いので、今までも家の外壁や庭の壁にはこれを塗っていました。(1kg=400FCFA、約100円)
これは最初の状態だと写真のようなゴロゴロした固まりの混じった白い粉です。これをバケツに入れて水を注ぐと、ボコボコものすごい音と熱を出して溶けます。冷ましながら、ゆっくりかき混ぜていき、好みの濃さに調節します。普通のペンキよりは薄めでいいと思います。
それを刷毛というかブラシで塗っていきます。漆喰は濡れているとあんまり塗ったのがわからないのですが、乾くと以外としっかりついていて白くなります。1回塗りではなく、数回塗りをするのがキレイに仕上げるコツです。

今回漆喰を塗ったのは壁ではなく屋根。
というのは、カンカン照りのときに、漆喰を塗って白くした部分と、塗ってない部分を触ってみたら全然温度が違うんです。そりゃ、こんなに屋根の温度が上がったら中が暑いのは当然・・・多分、白くすることで反射率が上がって、吸収される熱が減っているだけだと思うのですが、そのあまりの違いに「やってみよう」と思ったわけです。
閉店している日曜を利用して、私がまず箒で汚れをこすり落とし、そのあとをアリウンとムサで塗ってもらいました。この日はカンカン照りだったので、日に焼けてしまいましたが、1日で無事終了。

その後はやはり家の中が涼しくなりました。熱がこもる感じにならないのです。

2008年8月4日月曜日

POSレジ

日本ではもう近所のコンビニまで普及しているPOSレジですが、セネガルではフランス系スーパーCasinoと西アフリカに展開するレバノン資本のインテリア/エクステリア雑貨のORCA(IKEAみたいな店)くらいなものです。Casinoは数年前までScoreというスーパーでした。Scoreは仏語圏西アフリカではなじみの深いスーパーのブランドですが、もうかなり前に解体してそれぞれの国の現地資本に売り渡されていたのだと思います。ニジェールのニアメにあるScoreはScore Haddatと呼ばれていますから、レバノン系の電器から何から扱っているHaddatに買われたことが明確です。
さて、セネガルは最終的にフランスのスーパーチェーンCasinoに買われました。これはすごくよかったと思います。Casinoになってから、品揃えも良くなったし、Casinoの独自ブランドのお買い得な商品もばんばん入ってくるようになりました。(例えばファミリー用のレギュラーコーヒー1パック890CFAとか。約220円。それ以前はだいたい1500FCFAくらいしてた)店員の教育もやったようで、それまではとんでもなく不機嫌なレジの女性が多少にこやかになった気がします。もっとも、フランスはこの点では全然お手本にならないと思うのですが・・・
そして一番の変化はこのPOSレジの導入です。これにはいくつかの段階がありました。もともとは商品に小さな値札がのり付けされていてそれを見てレジで手打ちしていました。それからバーコードが導入されましたが本体の値札は貼っていました。今は本体の値札が廃止され、棚に値段が表示されています。
しかし、注意しなければならないのは非常に高い確率でこの棚についている値段表示と実際の価格が違うことです!
前はレジに行くまでいったいいくらなのかわからなかったのですが、最近は店内に価格チェッカーが設置されていて、バーコードをピッとやると価格が表示されます。これで、ちょっと手間はかかりますが確実にお得な商品を買うことができるようになりました。
POSレジ万歳です。

それにしても、元々POSレジはレジの簡素化だけでなく在庫管理と発注システムに結びついて品切れを防ぐために開発されたと思うのですが・・・Casinoではよく品切れしているような気がします。まだ、導入が不完全なのかもしれません。

話は変わりますが、最近ダカールの町中にどんどんできているのがWestern Unionの窓口です。これは簡単に国内や海外に送金し、それを受け取れるシステムで、たいてい銀行と結びついて業務を行っています。仕組みは簡単です。ダカールからニアメに送金するとします。その両端にある程度の現金をプールしておきます。送金したい人が現金を持って、ダカールの窓口にやってきて、それを窓口は受領し、ニアメの窓口にその受領したことを告げます。それを受信したニアメの窓口は、送金を受領しにきた人に対して、その額を支払います。
つまり、プールしておく資金とインターネットにつながったコンピュータ、窓口があればどんどん手数料でもうけが出るおいしいシステムです。送金手数料は2〜3千円くらい取られますから決して安くはないのですが、口座間の送金でもそれくらいは取るし、電信送金でも銀行の決済システムが遅いのでだいたい1週間〜10日かかることを思えば、数十分後には受領できるWestern Unionの手数料はさほど高くはありません。

こういったPOSレジやWestern Unionの窓口が増えるに従って、ネットインフラが整備されていくのは健全な発展モデルになると思うのです。

アフリカ開発:iPodに学ぶ


昨日はZuneについて書きましたが今日は反対にiPodについて書きます。
MS+Zuneが定量的分析において勝算があったのとは対照的にiPodをAppleが出したとき、そこには定量的分析をしても成功の要素はまったくなかったと思います。iMacにてある程度PCでのシェアを伸ばしてはいたものの、Macのシェアは1ケタだったのではないでしょうか。また、忘れてはならないこと、それはiPodの数年前、AppleはPippinそしてNewtonで失敗している。特にNewtonは同じような携帯デバイスでiPodは第2のNewtonになる可能性があったのです。その頃の携帯音楽プレイヤーと言えば、日本ではMD、外国では携帯CDプレイヤーです。実際、iTunesももともとはCDをリップしてリミックス、そしてそれをCD-Rに焼くというのが基本的機能だったのです。

そんな勝算のなかったiPodを支えたのはAppleのファンボーイ達です。それはZune Guyも同じなのです。
違っていたのはAppleの取った戦略と、MSの戦略の違いです。iPodは第一世代からとてもオリジナルなデザインを持っていました。表面はフラットなアクリルの下に純白のパネル、そして大きなホイールにX型に切り込まれた4つのボタン、中央の丸ボタンを配置し、背面は鏡面仕上げのステンレスという従来の携帯音楽プレイヤーとは似ても似つかないデザインをしていました。そしてほとんど毎年新しいモデルを出し、その度に容量は倍増していき、価格は反対に下がっていきました。また、特徴的なCFをシリーズで展開し、同時に有名アーティストのPVや映画やTVにどんどんiPodを登場させたのです。実際iPodのセールス戦略は最も成功したキャンペーンだったのではないでしょうか。
iPodがAppleファンボーイだけでなく、一般に売れ始めたのはこのキャンペーンのおかげだし、タイミングとしては容量が20GBを超えたあたりからだったのではないでしょうか?これは一般的なユーザのライブラリがほぼすっぽりおさまるくらいのサイズなのかもしれません。
そしてiPodはMini-Nano、そしてShuffleと用途別に別れ、生活のいろんなシーンに特化したiPodのラインアップができました。
言ってみればAppleはファンボーイ達の期待に応え続けているのですが、MSはそれができなかったのだと言えます。そもそもiPodはAppleの自社製ですが、Zune第1世代は東芝のOEM製品でこれをみてもZuneの技術的背景が弱いというのを見て取ることができます。多分Zune GuyはiPodとAppleをずっと見ていたのだと思います。だからこそ、MSがZune Guyたち、ファンボーイの期待に一向に応えないのに業を煮やしたのではないでしょうか?その苦い気持ちはよくわかります。

まとめてみましょう。iPodの成功を支えたエレメントは、
1. 特徴的な美しいデザインとそれを支える強力な技術的背景
2. 的確なセールス戦略/広報活動
3. リズミカルな新製品/新デバイス投入と適正な価格の低減
4. ユーザの期待に応えること
だと思います。

このiPod戦略はアフリカ開発にも活かせるのではないかと思います。ちなみにCYVOGUEのコンセプトにもこれらのエレメントは織り込まれています。

蛇足ですが、「5. あきらめないこと。失敗しても計画は温存し、機が熟するのを待つ。」というのをくわえておきたいと思います。
というのはAppleはNewtonで失敗しましたが、コンセプト的には(技術的背景は全く違うもののようです)iPhoneがNewtonのそれを別の形で、しかもかなり近い形でしっかり引き継いでいて、Appleはしっかり成功させているからです。

2008年8月2日土曜日

さて、アフリカの開発は?


ユーザインターフェイスの話、そしてZuneの話は実はアフリカの開発問題とも関係があると思います。
まず、今アフリカの開発というとまっさきに出てくるのが国連機関とか各国の援助機関とかNGOなわけですが、初心に返ればアフリカの開発の主体はアフリカの民衆であることは言うまでもありません。つまり、開発という一種のシステムのユーザはアフリカの民衆であると言い換えることができます。そこでユーザーインターフェイスを考えてみるわけです。これをモデル化するにはオブジェクト指向言語のオブジェクト(主体=参加者)、インスタンス(イベント)、そしてクラス(属性)というモデルを考えると面白いと思います。簡単に言って民衆の1人1人、構成人員はみなオブジェクトで、それが属性(クラス)を持ち、インスタンスで関係し合うわけです。
そういう基本モデルの中で、各機関(政府、国際機関、民間機関、援助機関)が違ったUIを持つアプリケーションだというモデル化ができます。このモデルにおいては、今までのようなマクロな視点だとかミクロな視点というものがなくなります。それは、それぞれオブジェクトの集合体として共通のクラスを持つインスタンスとローカルなレベルでの各オブジェクトの個別のクラスでのインスタンスということになる。つまり、マクロな視点とはミクロなものの集合体であって、別の主体によるものではないわけです。
モデル化の話はとてつもなく長くなってしまうので、徐々に考えていきたいと思いますが、今でも広まっている「定量的評価」はこのモデルでは全く無価値になります。従来の定量的評価では例えば「10人の漁民が組織化される」というのと「10人の技術者が育成される」というのは同じ10人と見なされたのです。だから「同じインパクトのプロジェクト」だとされて、それではコストの安い漁民の組織化をやりましょうということになる。でも、少し考えればこれが全然違うレベルのプロジェクトであることに気がつくはずだし、それぞれのインスタンス(プロジェクト)に適したアプリケーションがあるはずだとわかると思うのですが、それを明確に説明する新しいモデルが必要なのだと思います。
私は定量的評価が全く無価値だとは思いません。ローカルな各インスタンスの達成度評価においては有効でしょう。つまり、プロジェクトそのものの進行度を測定するのには有効な方法です。しかし、クラスもちがい、対象の広がりが異なる複数のプロジェクトを横断的に評価したり、プロジェクトの採択プロセスに用いるには全く適してないと思います。

さて、Zuneの話ですがMSがZuneを出したのは、iPodに対して勝算があったからであることは間違いないでしょう。我々、素人のウォッチャーが絶対勝算がないとわかっていたのに、世界有数の大企業であり、優秀な経済学者やマーケティングのグールーの意見を仰ぐことも簡単にできたはずのMSがなぜ正反対の判断を下したのか。これは、定量的評価をすればZuneには勝算があったからだと思います。MSは基本的に量に頼って成長した企業ですから、そういう判断をしたのもうなずけます。もちろん、Zuneの敗因はイメージだとか、iTunes+Podの技術的生態系の優秀さといった「定量評価のできない」要因によるものです。まあ、中には単純なマーケティングのミスもあると思いますが。
同じことがアフリカ開発の停滞にも言えるのかもしれません。定量的評価のできないなんらかの要因が脚を引っ張っている可能性が強いのです。それは先日書いた(最後、おちゃらけにしてしまいましたが・・・)植民地時代の負の遺産であったり、アフリカ人のメンタリティによるものかもしれません。しかし、この分析を掘り下げなければ、アフリカは前に進めないのだし、従来の定量的分析に頼っているかぎり、それは解明できないという気がします。もっと、文化的側面、人類学的側面、歴史的側面といったマルチディシプリナリーな分析が必要なのだと思います。この話も長くなるのでまたおいおい書こうと思います。

ともかく・・・
毎日8時間も停電してるところ、そしてエネルギー相が法外な金額を示して、この金額がないと解決できないと言うばかりで何もしないような国では開発は無理という気がしますね。メジャーな援助機関の人たちは、それほどこの問題を重要視してない気がしますが、このような条件下では定量評価も定性評価でも勝算がないことは明らかであって、そういう部分に優先的に援助しないと、いくらHIV感染が減っても、子供の教育が充実してもそのあとで困るというのは、それこそ素人ウォッチャーの目で見て「確実」です。
別に電力会社にテコ入れするだけが、解決策ではないでしょう。代替エネルギーの普及に直接注力するのも手ですし、代替エネルギーへの転換を促す生態系(エコシステム)を構築していくのも1つの手だと思います。

Zune Guyの物語

Zune Guyをご存知でしょうか?
というか、日本ではそもそもZuneが知られてない、と思いますが、ZuneはMSがAppleのiPodに対抗して出した携帯音楽プレイヤーです。iPhone/Touchに先駆けてWiFiを搭載し、Zune同士で音楽をやり取りできるなど、後発らしい新機能を盛り込んでいます。
さて、Zune GuyとはこのZuneとMSを愛するあまり、ZuneのロゴTatooを入れてしまったMSファンボーイです。しかも1つならず、3つも入れてしまいました。周囲の目は冷たかったようですが、そもそもファンボーイなんてそういうものです。
さて、つい最近Zune GuyはこのTatooを別のTatooで覆い隠すことにした、と発表しました。その理由はZuneに関する新情報もMSの発表も何もないことに疲れてしまった・・・ということのようです。
しかもArsTechnicaによると、Zune GuyはZuneに替わる別の選択肢を探しにBest Buy(アメリカの家電量販店)に行き、iPod Classic 80GBを購入したそうです。
数年前、Zuneが「iPodキラー」の鳴り物入りで登場したとき、iPodユーザの反応はとても冷たいものでした。
当然です。
iPodはもうITunes& Storeという「生態系」をすでに完成していましたし、iPodの「イメージ」は完全に定着、携帯音楽プレイヤーの雄であるSONYでさえ全然歯が立たなかった。そこに、そういうハードなど出したこともないMSのようなニューカマーが乱入しても、自爆するのがオチです。いくら、Windowsが90%を超えるシェアを持っていたとしても、です。それに、MSはまだまだ「ビジネスユース」というイメージのある企業で、携帯音楽プレイヤーのメインなコンシューマー層の心をつかむのに慣れていません。
また、Vistaの苦戦をあげるまでもなく、Win-PCのユーザは基本的にDellのPC、SONYのPC等々ハードメーカーを意識して使っていてMSを使っているという認識は低いのです。
しかし、それだけではありません。MSはZune戦略としてZune Carを登場させ、派手な塗装をしたランクルをゲリラ的に出没させた・・・のは良かったのですが、住宅地に夜中の3時に大音量を鳴らして住民から苦情が出てしまいました。さらに、そこに飛び出したDRM論争。
音楽業界を全部敵にまわしてDRM廃止を訴えた(やんわりと・・・ですが)Steve JobsのAppleは音楽業界から干されるのではないか?と思われたときがありました。そのときZune&MSは思いっきり音楽業界側に立ち、ZuneのDRMをアピールしました。
私はこれが最終的にZuneの息の根を止めてしまった、と思っているのですが、イメージとして消費者寄りをアピールできたAppleに対して金儲け主義の音楽業界寄りのZuneというイメージができてしまったのです。その後、音楽業界はAppleの姿勢に追従、DRMは次々はずされています。これで、MSはZuneを見放したのではないかと思います。

iPodの成功とZuneの失敗はMSがこれを単なる商売上でのシェア争いだと捉えたことによるものだと思います。しかし、実は裏ではこれはテクノロジーの勝利なのです。iPodはiTunes& Storeと結びついています。この2つは切り離せません。そして、iTunes & StoreはWebObjectというAppleのAPIを使って作られています。そして、この技術はNeXT STEPから引き継がれたものなのです。
Windowsが市場で急速にシェアを伸ばした時代というのはAppleの暗黒時代でした。JobsがScullyにAppleを追い出され、Coplandが行き詰まった時代。Appleはもうダメだと思われた時代でした。しかし、Appleは外部からの力を入れて新しいシステムRapsodyの開発をする英断を下し、JobsとNeXTをお買い上げ。iMacで世界を驚かした後、MacOS Xへの移行を成功させます。
その、暗黒時代の遺産が現在のAppleの成功を支えているとも言えます。

ともかく、Zune GuyはiPodがもたらしてくれる新しい世界に浸ってほしいと願います。
来年あたりにはiPhoneユーザになっているかもしれませんね。