2008年7月31日木曜日

UIという罠


コンピュータはどんどん進化して機能としてはどれも似たものになってきています。その中で差別化をはかろうとしてやっきになって新しいUIが開発されています。iPhone/Touchのタッチスクリーンをはじめ、MSのSurface、そしてこのSurfaceを球体に投射したものまで登場。まるで魔女の水晶玉です。また、二次元のスクリーン内に3Dのデスクトップを表示するCompiz-Fusion。そして最近Apple関係の噂サイトを賑わしているのが次世代Appleラップトップに搭載されると言われているガラス製のトラックパッドです。

しかし、新しいUIにはかなりの確率で罠が待ち受けています。それは実際には使いにくくなってしまうという罠。例えばCompiz-Fusionですが実際にはSpacesの方が使いやすいと思います。キューブにして回すこと自体には意味がない。むしろそれを展開して全部表示するSpacesの方が使い勝手がいいのです。魔女の水晶玉なんか、何の意味があるのかわかりません。UIの悪い夢を見そうです。

iPhone/TouchのUIは成功していると思いますが、それはあのサイズと目的のデバイスに搭載されているからですし、iPodだけの機能を見ればClassicの方が操作性は上だと思います。またSMSを打つなら普通のケータイの方が打ちやすい。その言ってみれば不便さを補って余りあるタッチスクリーン操作の快感と魅力があるから、このUIは成功しているのだと思います。

またUIの失敗例としてOLPCのSugar UIがあると思います。Sugar UIは子供が直感的に使えるために特別に開発されたUIですが、あまりにも野心的すぎて汎用のUIとかけ離れたものになってしまい、かといってちょっと動かすと中身は普通のLinuxだったりするのでその不完全さばかりが目についてしまう。これなら、まだMacのシンプルファインダーの方がUIとして子供にも大人にも受け入れやすいものだったのではないかと思わざるを得ません。

反対に成功しているのはNintendo DSとWiiでしょう。これらはゲーム機らしい遊び心にあふれたフレンドリーな操作感がある上に、DSはダブルスクリーンというハードの特性を生かしたUIになっています。またWiiはモーションセンサーつきのリモコンで操作するという特性を生かしたものになっている。しかしDSもiPhone/Touchと同じで、あのサイズのハードに依存したUIだと思います。DSが成功しているからと言って17インチのダブルスクリーンなんてものを出してしまった日には、悪夢が待っている。
同じことが「ガラストラックパッド」にも言えて、ここをスクリーンにするのではないかという予想があるのですが、これは極めて使いにくくなると思うのです。なぜならトラックパッドを操作するとき、あるいはキーボードを操作するとき、基本的に目はスクリーンを見ています。もっと正確に言えばスクリーンのポインターのある位置を見ています。決してトラックパッドなどは見ていません。これをトラックパッドに何か映し出すことで、視線の移動を強制すればこれは使いにくくなること必至です。また、トラックパッドは少なくとも指がその上に来るものですから、その部分が隠れてしまうことを考慮に入れる必要もあります。iPhone/Touchの操作が楽しいのは、あのサイズで、メインスクリーンを直接触るからです。

メインスクリーンをタッチパネルにして使いやすいのはせいぜい7 inchから大きくても9inchくらいまでだと思います。それ以上になると手の移動が大きくなって、もともとのトラックパッド&キーボードよりも使いにくくなると思います。また、タッチスクリーンのキーボード(キータッチのない平面)も慣れの問題かもしれませんが、操作性は良くないと思います。このサイズという点でも実はNetBookはいい位置につけているんです。ちょっと大型のDSみたいな感じ。ただ、ポインティングデバイスは概して使いにくいですね。Eeeのは小さいだけでまだマシですがCloudbookのはほとんど悪夢です。
その話を突き詰めていくと1ボタンマウスと2ボタンマウスの話になってしまうのですが、ホイール付き2ボタンマウスは私もとても使いやすいと思います。MSが開発したそうですが、見事です。特にMacOS上ではすばらしい。しかし、Windowsになると?な点が出てきます。左クリックは選択、起動で右クリックはコンテクストメニュー表示と決まっているわけです。普通のアイコンやアプリケーション上では問題ないのですが、メニューバーではビヘイビアが変わります。なんと左クリックが効かなくなるのです。しかし、メニューバー上のオブジェクトはアイコンではなく、ボタンなはず。左クリックでメニューを展開させるのが普通だと思うのですが・・・

とにかくUIはかなり奥が深いものです。

2008年7月29日火曜日

デジタルディバイド


元々、デジタルディバイドとはコンピュータリテラシーの度合いのことだと言われていました。しかし、今日的なコンテクストにおいてはもはやそうではありません。
そもそも、コンピュータリテラシーとは何なのかがどんどん変わっています。20年前ではMS-DOSやBasicがわかることだったのでしょう。でも今、こんなものを使う人はもういませんし、コンピュータを普通に使える人ならコンピュータリテラシーがあると言っていいでしょう。
別にTerminalでコマンドラインが打てないとダメとかJavaがわからないとダメというわけではない。
数年前にセネガルでは職業訓練分野が自由化されたようで、情報処理系の私立校が雨後のタケノコのようにできました。しかし、これらの学校で教えるのはWordとかExcelとか、そのあたりだけなのです。CYVOGUEでスタッフ募集をしたときも、応募してきたほとんどの人がWord&Excelができるけど、HTMLなんて聞いたことのない「情報処理系校出身者」だったのです。ネットカフェの運営にはWordやExcelなんてできても何の役にも立ちません。もちろん、できないと困ることも事実ですが・・・
小規模ネットワークの管理をしたり、ネット関係の知識がないと絶対にダメです。

しかし、そういうのを教えてるのはここではCFPTくらいなもので、CFPTにしてもアマドウを見ているとどうもWindows偏重、ソフトウェア偏重な気がします。だから、Ubuntuの話をしたりSaasやクラウドの話をするとびっくりしています。
今日的なデジタルディバイドとはこういうことなのだと思います。

片や、ネットで情報収集し、Webアプリを使ってブログを発信し、iPhoneやiPodで音楽を聴き、SkypeやIMで通信するのが当たり前。
片や、Virusを拾っておかしくなってしまったWindowsを日に何回も再インストールしてWordやExcelで書類作り。

そして今日的なデジタルディバイドの根本的な原因、それがネットインフラの差なのです。
ネットワークにより提供されるサービスの恩恵に浴することができるかどうかがカギを握ります。

言ってみればネットにつながった1台のコンピュータは、ネットにつながってない10台のコンピュータよりも重要なのです。

アフリカのインターネット基盤


インターネットは基本的には有線の技術で、ケーブルがつながっていることによってそのサービスを利用できます。日本と北米、そしてユーラシア大陸の間もたくさんの海底光ファイバーケーブルによってつながっています。
アフリカのこの海底ケーブル事情はというと、ヨーロッパから西アフリカ、ギニア湾とバスコ・ダ・ガマの航海ルートでアフリカ大陸を周回し、喜望峰を回ってマダガスカルに抜け、インド洋を横断するケーブルがまずあります。(私の記憶が正しければ2本あるはずです。)それと、ダカールではヨーロッパから南米大陸へと大西洋を横断するアトランティスケーブルの中継基地にもなっています。
ダカールがインターネットに恵まれた立地条件にあるのはこのことによるものです。また、ギニア湾岸諸国でも海底ケーブルに接続されている国と接続されていない国があります。アビジャン(コートジボワール)、アクラ(ガーナ)、コトヌ(ベナン)、ラゴス(ナイジェリア)、リーブルビル(ガボン)、それにドゥアラ(カメルーン)は接続されていますが、そのあとはルアンダ(アンゴラ)、ケープ(南ア)に飛んでしまいます。
アフリカの東海岸は10年前くらいまで海底ケーブルがなく、空白地帯のようになっていたのですが、エジプトから紅海を経てアラビア半島を周回するケーブルから、南アに伸びるケーブルができて、良くなっているようですね。
世界のインターネット海底ケーブル地図はココで見てください。

また、海のない内陸のマリ、ブルキナファソ、ニジェールなどはインターネット事情が良くないであろうことは容易に想像できます。現在、ニジェールはUNDPなどの協力によってベナンのコトヌから光ファイバを引き、ニジェールではADSLによるブロードバンド接続ができるそうです。(しかし、かなり不安定という話。)しかし、ケーブルが引かれる前に主流だったのは衛星インターネットでした。これにも種類があって、パラボラを設置して直接衛星と通信する方法が1つ。これは非常に高価で国連機関などでないと手のでない価格でした。もう1つは、通信会社がパラボラを設置し、ローカルなレベルでは他の通信方法を使うもので、Afripaという会社がニアメでは提供していました。このAfripaという会社は西アフリカのあちこちにあって、かなり謎な会社です。で、Afripaと契約するとパラボラではなく、アマチュア無線のようなタワー型のアンテナが立ちます。これとAM電波で通信するのです。
また、ベナンでは海底ケーブルは来ているものの、国営の電話会社のサービスが極めて悪く(というかほとんど機能していない)、電話を引いてもらうのに半年とか1年とかかかってしまうので、ADSLなどの普及する地盤がない国もあります。前に一度話したFirstnetも、多分上流は衛星で、Afripaと違うのはアンテナがAfripaのものより非常に小型で、ほとんどUHFのテレビアンテナくらいしかないこと、そして値段がかなり安いことです。それでも、例えばダカールのADSLのように現地の中流家庭が手を出せる値段ではありません。

このあたり、まだディジタルディバイドの根は深いわけで、これはコンピュータリテラシーより先にネットインフラが改善される必要があるわけです。

2008年7月27日日曜日

セネガル相撲(レスリング)


仏語ではLutte Traditionnelleというこのスポーツはここ数年でセネガルで一番人気のスポーツになりました。その前はサッカーだったのですが、2002年のFIFAワールドカップ韓国日本大会をピークに人気が低迷、それとともに成績も落ち目になってしまっています。その頃、セネガル相撲(レスリング)界では、Mohamed NDAO "Tyson"がその2mを超す長身と相撲取りとは一線を画すルックス、特徴的なヘアカットでそのカリスマ性を全開、一挙に国民的スターに躍り出たのです。私も昔スポーツ用品店ですれ違ったことがあるのですが、とにかくデカかったです。さらにTysonは乳製品会社や文房具会社とタイアップ、日本ばりにキャラクター製品まで出していました・・・Tysonの写真のついたノートとか・・・ドレミマリちゃんとかのノリですが今までセネガルでそういうことをしたスポーツ選手はあんまりいません。(サッカーのナショナルチームのはありました)
で、Tysonはその後Bombardierというムブール出身の若いレスラーに倒された後、急速に人気が衰えてしまうのですが、Lutteそのものは次々と新しい選手が登場し、活況を呈しています。
最近のスターはYekiniで、彼は一昨年あたりにチャンピオンに上り詰め、昨年はTysonと待望の顔合わせを行い、Tysonを倒しました。Yekiniは2000年頃通っていたスンベジウンの近くのジムで土曜日の朝に時々会いました。60kgのバーベルを担いだまま50回くらい連続ジャンプしてました・・・
Lutteはそれほど組織化されたスポーツではなく、年間の行事が全部決まっているわけでも、本当のセネガルのチャンピオンが誰なのかも実ははっきりしません。人気が出たレスラーの試合をプロモーターが随時プロデュースしているように見えます。

実はCYVOGUEのすぐそばにあるStade Demba DIOPはこのセネガル相撲のメインスタジアムになっています。昨年まではメディナのIba Mar DIOPで行われることが多かったのですが、今年はもっぱらこっちで試合が行われているようです。

伝統的"Traditionnelle"というだけあって、このセネガル相撲(レスリング)はスポーツ的側面とアフリカらしいおまじないやダンスを組み合わせたエンタテイメントです。メインの試合自体は長くて5分とか、短い時は数十秒で終わってしまうものなのですが、その前にだいたい2時間くらいの前置きや前座があります。前座は若い駆け出しのレスラー達の試合が組まれていたり、やせっぽちのコメディアンがレスリングをやるお笑い系もあります。前置きの方はたいがいスター選手が大きな四駆やベンツを乗り付けて入場し、そこでレスラー本人が一番前、同じジムの他のレスラーたちがだいたい6〜9人、おそろいのTシャツ(スポンサーのロゴつき)を着て、のっしのっしとダンスを披露します。100kg級の巨漢がグループで踊るダンスはそばにいると地響きがしそうな迫力です。ダンスが終わるとおまじないタイムに入ります。これはよくわかりませんがいくつかのプロセスがあります。レスラーは試合中でもたくさんのグリグリを腕、胸、腰、足首などに巻き付けていますが、それをタムタムを叩いてる人のところに持って行くというのと、なんかミルクの入ったような白い液体を頭からかぶるということをするようです。これが終わった後やっと「土俵入り」になります。試合自体はとてもシンプルでお互いに向き合い、手を犬かきのように動かしてタイミングを読み、仕掛けたらがっちりと組み合うか、技をかけます。また、プロのLutteでは叩くのもアリです。そして転ぶか、肘と膝4つともついてしまったら負けです。試合が始まると実況が入ります。これが聞いていると笑ってしまうのですがほとんど実況の半分くらいはライラーイララーを連呼します。これを速くしたり遅くしたりして試合の盛り上がりを伝えます。テレビならまだしもラジオだったらなんだかわかるはずないという気がします。

YouTubeにたくさん動画が上がっているので興味のある方はココで見てください。またAu Senegalの紹介ページはココです。
今日の夕方は今シーズン最後の試合があるようなので、見ておこうと思います。

追記:今終わりました。今日のメインイベントはYekini vs Balla Beye 2でした。結果は持ち前の安定感と力でYekiniが、多少体重が軽くテクニシャンのBalla Beye2を持ち上げて倒しました。

ガーデニング

停電してる時、ヒマなので庭いじりをしました。この家には広い庭はなく家の建物のまわりと塀との間、2mくらいのせまいスペースを庭にして楽しんでいます。うちの従業員のムサは本業が庭師なのでこういうときにとても便利。「これこれこういう風にしたいんだけど」と相談するとそこを準備し、花を買ってきてちゃんと植えてくれます。しかも、彼の手にはなにかパワーがあるらしく、私が何度植えても失敗したようなものでも彼の手で植えるとちゃんと育つのです。
今回はFrangipanier(Plumeria Rubra)とジャスミン、それとシトロネル(レモングラス)を買ってきて植えてもらいました。
フランジパンはバリ島なんかによくある木で、数年前に友達を訪ねて行ったときにウブドで泊まったホテルIbahのシンボルになっていたので、欲しいなと思っていたのですが、先日近所のお菓子屋にドーナツを買いに行ったときその向かいにきれいに咲いてたのを見てしまって・・・どうしても欲しくなってしまったのです。この木はニジェールにも思い出があって、当時借りていた家には小さなプールがあったのですが、そのプールサイドにこのフランジパンの木があって、休みの日の午後なんかにプールにプカーっと浮かんでいると、この花がいい香りをさせながら流れてくるんです。結構強い木なので、多分問題なく根付くと思いますが、今後楽しみです。お値段は6000FCFA(約1500円)でした。

ジャスミンはつる植物なので壁の横に植えました。これから針金かなにかで伝わせるものを作る必要がありますが、つぼみがすでに2つもついてるのですぐに咲きそうです。ムサによると「オリジナルじゃない」というので調べてみたのですが、ジャスミンと呼ばれるものはたくさん亜種があるようで、ムサの言うオリジナルとはJasminum sambac(マツリカ)のことなのでしょう。確かに花や葉の形が違いますし、ジャスミンは茎が赤がかったような色だった気がするのですがこれは緑です。値段は2000CFA(約500円)

あと、シトロネル(レモングラス)ですが、これは見た目はススキにそっくりで雑草みたいで見栄えはしませんが、葉を触るとレモンのいい匂いがします。ダカールなどで中華/ベトナム料理を食べて食後に飲むのはジャスミン茶かこのシトロネルのお茶とだいたい決まっているのです。また、これを飲むと蚊にさされないという話もあります。そういえば、セネガルで売ってる殺虫剤Yotoxもこの臭いです。シトロネルは料理にも使えます。鶏の脚や七面鳥の手羽先の下に敷いてオーブンで焼くとおいしいレモンチキンができます。

他のヒマつぶしに漆喰塗りもやっているのですが、それはまた別記事にします。

オープンソースとインターネット

相変わらず長時間停電の毎日が続くダカールです。
聞く話によるとガーナのヴォルタ湖の水力発電にも問題が生じているようで、ガーナ、ベナンなども慢性的な停電が生じているようです。

さて、現在オレゴン州ポートランドではOSCON(O'Reilly Open Source Convention)が開かれており、オープンソース界の大物がキーノートスピーチを披露、Arstechnicaなどでリポートされています。
この中のMark Shuttleworth氏のスピーチのレポートを読みました。マークシャトルワース氏は南アの大富豪でUbuntuの創始者です。彼が言うには現在のWeb 2.0世代の成功を収めている企業はすべてオープンソース系の技術をコアにしている、というものです。そしてそのオープンをさらに拡張していかなければならない、というのが基調。

でも考えてみればインターネットそのものがオープンソース技術の上に成り立っているのです。Webサーバも電子メールのシステムもデータベースも全部そうです。そしてオープンな基幹部分にいろんな肉付けをして商用OSやサービスが成り立っているにすぎないのです。
それを象徴するのがMacOSだと言えます。MacOSはプロプライエタリなOSですが、そのコアシステムはFreeBSDをベースにしたDarwinです。(UbuntuではここがLinuxカーネル、ということになります。)そこにApple独自のライブラリなどのシステムがあり、デスクトップ環境としてのFinderがあります。(このあたりがUbuntuではGnomeにあたります。)で、MacOSのWebsharingに使われているのがApatchサーバ、Winとのファイルシェアリングに使われているのがSambaサーバ、画面共有に使われているのが先日話したVNCになります。
言うなればMacOS(やUbuntu)はオープンソースのブロックを組み上げたLEGOのようなものなのだと思います。
MacOSのように明確なわけではありませんが、Windowsもかなりの部分でオープンソースの技術を取り入れているはずだと思います。
また、UbuntuなどのLinuxディストリビューションにおいてはアプリケーションもすべてオープンソースのもので構成されているのが特徴です。付け加えるならこれらのアプリケーションはたいがいMacOSやWindows用に移植されています。

これらを考えると、今日的なITテクノロジーというものはほとんどがオープンソースの力なのです。そしてオープンソースが生み出したメディアがインターネットであると言えると思います。

2008年7月25日金曜日

Netbookへの懸念?

NY Timesのこの記事です。
OLPCが先鞭をつけ、ASUSTEKが切り開いた後、その成功に乗っかって他社が次々と新製品を投入するNetbook市場に、老舗PC大メーカたちが懸念を表明している・・・というのですが、このあたりそれらのメーカの体質を見事に表しているようで面白い。

その一方で、じわじわとMacが売れているらしいです。
これまでWinベースのPCやラップトップが売れたのはなぜだったのか、これらの大メーカは忘れてしまったのでしょうか?

それは「安いから」に他なりません。

そのために大幅に値引いて量販店で売りさばいたわけです。それに、その「安さ」で対抗するNetbookが今までは部品メーカー、パーツメーカーであったASUSTEKなどが入り込んだからといって、それを懸念するというのはいかがなものでしょう?
むしろ、それは健全な競争であるという気がします。
安さでシェアを獲得した後はブランドや付加機能などで売るタイプの戦略に移行しているようですが、本来の自分たちの支持基盤というものを忘れちゃったのでしょうか?
反対に最初からブランドで売っているAppleにこの戦略では一日の長があるのはあたりまえです。なんと言っても、他の大メーカが安売りに汲々としていた時代からブランドのビルディングをやっているわけですから・・・

しかも、モデルを絞ることによって非常においしい価格帯に仕上げている。今、一番C/Pの高いラップトップは間違いなくMacBookだと思いますし、デスクトップならiMacでしょう。しかも、どうしてもWinが使いたければBootCampして両方使えるわけだし。
で、2台目サブノートは?といえば安いNetbookに目がいくのは当然の帰結なのだと思います。それかiPhoneにしたり、Touchという選択肢もあるし。

今のWindowsノートは高すぎると思います。例えばSONYのVAIO Tとか新しいVAIO Zとかですが、確かにデザイン的に惹かれるものはあるし、モノとして欲しいという気はします。しかし、MacBook Proと同じかそれより高いし、中古でさえMacBook Airの新品が買えてしまう。それなら素直にMBP/MBAを買おうと思います。かと言って安いWindowsノートは買う気のおきないようなデザインだし・・・
言ってみれば作る側の都合がデザインや価格において常に優先されている。全然ユーザの立場に立ってない気がするのです。(ユーザの立場に立っているのがド派手なカスタマイズパーツだとしたらそれは間違った認識だと思います。)

そうなったらもうブランドだの言ってられません。安いものがマーケットを制覇するのは当然です。しかも、PC界を裏で操るMSがLinuxが普及してしまう懸念から「人気のXP」を安くこれらのNetbookに搭載することを許してしまったのです。
こうなってまで大手PCメーカがMSと運命を共にしようとするその姿勢の方がかわいそうに思えてきてしまいます。
VAIOなんかVistaじゃなくてUbuntu Studioをプリインストールして5万円くらい値引きすれば売れると思うんですけど。

iPod TouchのバッテリとWiFi

最近、停電が多いため、WiFiのAPも電源が切ることが多いのですが、そうするとiPod Touchのバッテリがものすごく早く消費します。全然使わないで眠っている状態で24時間たつと満タン→ほとんど空に・・・
ということで、TouchのWiFiをOFFにすると、ほとんど消費しなくなりました。
同様のことがMacでも起きます。
ただし、WiFi APが動いてるとそれほど消費しません。多分、TouchもMacもWiFiをONにしてDiscoverableの状態だと、近くのアクセス可能なAPをスリープ状態でも探し続けるんじゃないかな、と思います。

ということで、近くにWiFi APがなく、使わない時はWiFiをOFFにする方がいいみたいです。

所変われど・・・


今週はもう2回も朝8時から午後3時くらいまでの長い停電がありました。燃料も順調に値上げされ、さらにガス(ここではブタンガスのボンベを買って調理用などに使うのが普通です。)も市場から消えたまま3週間。さらに追い討ちをかけるように市場から米が消えました・・・ここでは一般米の小売価格は政府が決めているのですが、それが不当に安すぎるとして商人が米を市場から引き上げたのです。

そんな市井のうずまく不満や膨れ上がる社会不安をよそに・・・

ワッド大統領は上院(Senat)の権限拡大にご執心。
そりゃ、政治が仕事ですから自分の仕事をしているだけと言えば言えないこともありません。
しかし、大統領になった当初とは全く違う人間になってしまったとしか思えません。ワッドの支持基盤は年寄りの権力者の仲良しグループによるなれあいの政治に嫌気がさした民衆だったはずです。だから市井でこういう不安が高まったりした場合、彼はすぐに出てきて対策を講じたものです。その積み重ねによって大統領への信頼は高まったのです。それはもう、パフォーマンスとしてもやりすぎじゃないか、と思うくらいに彼は有能だったのです。
しかし・・・もう政治家としての先が見えている今、彼は自分が倒し、取って代わったはずの権力者に驚くほどそっくりになってしまったと思います。
最近の民衆のかかえる問題と政治の乖離ぶりはもはや別の世界に生きているとしか思えないほどです。

2008年7月23日水曜日

アフリカの生き残り能力


世界一の経済大国アメリカで爆発したサブプライムローン爆弾が欧州や日本を巻き込んで、原油や食料が高騰し全世界の経済が停滞している現状は、もともと世界経済の中で立場の弱いアフリカの民衆をさらに弱体化させています。
そして、もっと悪いことに「経済発展のお手本」がなくなっちゃったともいえるのです。今、勢いを保つのは中国やブラジル、インドといういわゆるBRICS諸国です。今までアフリカがお手本にしてきたのはなんと日本経済で、特にセネガルのワッド大統領なんかはそれを公言していました。しかし、その機を読むのに長けているワッド大統領がいちはやくセネガルに誘致したのは日本企業ではなくインドのTATAでした。これを見てもアフリカが決して経済でトップに躍り出ることはほぼありえないかわりに、破綻することなく低空飛行のまま、しぶとく生き残るであろうことは予想できます。

そもそも、今回のサブプライムにしても結局は日本で起きた不動産バブルと同じ構造の失敗が繰り返されたのだと思います。では性懲りもなくなぜ同じ失敗を繰り返すのか?
それは「数字を信仰している」からです。数字は正しい、数字は必ず実体を表す、数字は万人にアピールできる指標だということを妄信していたからにすぎません。もちろん、これは民主主義の根本である選挙システムの信憑性をベースにした信仰なのですが、信じるのに値するのは「足し算」に限った話なのだということを忘れがちです。
数字は基本的に操作可能なものですし、裏に人間の意思が働けばいくらでも別の結果を生み出せるものです。日本の不動産バブルも米国のサプライムローンもそうやってもともと少ない資産をものすごくあるように見せかけてカネを集めたわけです。それこそ、巧みなかけ算と割り算を駆使して・・・

最近、南部アフリカのジンバブエでインフレ率が220万%に達したという発表がありました。その数字はショッキングですし、実際にジンバブエでモノの値段が上がっているのは事実でしょう。しかし、実際はジンバブエの人たちは集団自決をするわけでもなく、暮らしを続けている。どうしてそんなことが可能なのか?
それは、ジンバブエのインフレなるものが自国通貨に換算して計算されているから、なのです。むしろ、暴落しているのはジンバブエの通貨そのものであって、消費者物価が基軸通貨(例えば米ドル)に対して純増しているわけではないと思います。もちろん、これにおいてもかなりのインフレになっていることは間違いないと思いますが、220万%というのはないと思います。
そして、その裏に見えてくるのが、このインフレでバブルな利益をむさぼっている連中がいるということ。そしてこんなメチャクチャな数字が国際社会に発信されても平然としている大統領とかその周辺がそれに絡んでいるのではないかという当然の憶測。
通貨カードを切るのは外貨の流入と流出をコントロールできる立場にいる人たち以外にいないのですから。
そして、このような状況が生み出すのがヤミ金融であることなど、アフリカで暮らしたことのある人間なら誰でも知っていると思います。

それでもアフリカは生き残るのです。
多分それは、すべての商品作物を栽培できなくなっても、全然カネがなくても、この豊かな土地では食いっぱぐれることがないからかもしれません。

iPhoneの本当のチカラ

発売から10日あまり、iPhone関連のニュースやブログが面白いことになっています。Softbankが不適切な販売方法を行った店があると認めたり、2ちゃんねるのひろゆき氏が「使いにくい」と感想を述べてみたり。iPhoneの使い方の裏技がたくさん出てきたり、電池の持続時間で苦労する人がいたり、新しいSafariブラウザのベンチマークが出たり・・・

でも冷静に考えてみればiPhoneってiPod Touchに電話がついてるだけなんです。
もちろん、その「通話できる」っていうのがキラーアプリであることは去年のiPhone CF "Calamari"でよくわかりますけど、基本的な使い心地というのは共通してるわけです。
アンロックさせるときのスライドストロークが長いとか、そのためにボリュームを瞬時に下げられないとか、WebブラウジングしたりYouTubeを見たりするとすぐ電池がなくなるとか、そのあたりは共通だと思います。また、メールも打ちにくいし、日本語チャットはもっとしんどいです。これは私の指が特に太いわけではないのですがそれでも他の部分を触ってしまうようで盛大なタイプミスが生じるからです。
iPod Touchを持ってる人を街で見かけないのは、まずもってWiFiのないTouchなんて全然面白くないからです。特にApp Storeができる前はそうでした。だから外出用にはNanoやShuffleがあるのです。そういう意味ではTouchは極めて趣味的性格の強い製品と言えるのです。
つまり、iPhoneの使い心地の問題というのは基本的にTouchと共通したもので、「何を今更?」という気がするのです。

iPhone 3GはEDGEの3倍のスピードだそうですが、WiFiはさらにその何倍も速い。米AT&TはiPhoneのためにかなりな数のWiFiホットスポットを新設することを発表しています。日本のケータイのWebが一見使いやすいように見えるのは、ケータイ用に作られたサイトを見ているからです。iPhoneは違う。iPhoneのSafariはフルブラウザです。ケータイサイトとでは琵琶湖と太平洋くらいの差があるんではないでしょうか。琵琶湖をスイスイ泳ぐのに慣れてる人たちが太平洋の荒波に急に放り出されたら、泳ぎにくいと感じるのは当然です。そして、ソフトバンクはご丁寧にも「パケ放題」を使わなかった時のパケ代金をサイトで教えてくれるそうなのですけど、これが10万円とか途方もない金額になってくるのです。でも、これに騙されてはいけません。これは定額プランが安いことを強調している一種のデモンストレーションです。

iPhoneが起爆剤になって町中にWiFiスポットが増えればおのずとTouchを街に持ち出す人も増えると思います。これはTouchがどう、iPhoneがどうという単発的なガジェットの話ではありません。公共のネットインフラの話なのだと思います。
ベナンにいたとき、職場のネット接続を契約していたのがFirstNetという会社だったのですが、ここがコトヌのメインストリートであるスタインメッツ通りを丸ごとWiFiスポットにするという話をしていました。その時はすごいことを考えるんだな、と思いましたが今はあながち夢物語でないという気がします。

2008年7月21日月曜日

営業時間変更のお知らせ


日曜を定休日にしました。
ということで開店時間は月〜土の9h00〜23h00です。


昨日の日曜はほとんど今年に入って初めての本格的な雨降りでした。今までも何回か降ってはいるのですが、風が吹かなかったり、ちょびっと降るだけだったのですが、昨日はしっかり黒い雲が南東からやってきて、風も吹き、午後すぎまで降り続きました。そのあとも日が出たりせずに涼しい夜を過ごしました。今朝はちょっと太陽が出ていましたが、今はまた雲が広がっています。

CherryPal PCのCloud Computing

GIZMODOの記事より。
これはすごい。
簡単に説明すると、このボックスにはLinuxの埋め込みOSと改造されたFireFoxが組み込まれていて、起動すると自動的にAmazonのCloudに接続して、ウェブアプリを使える、というものです。単機能なのでプロセッサやRAMは驚くほどプアな環境なんですが・・・
そのおかげなのか、消費電力はわずか2Wしかないそうです。

昔あったサーバ/クライアントのシンコンピュータに近い発想ですが、それをクラウドで全インターネット的に可能にしてしまったところがすごいですね。
こうなってくると、OLPCやgOSはかなり厳しいことになってくるのではないでしょうか。

しかし、どこからネットにつなぐのか、という点についてはやはり問題ですね。
Ubuntuもこの点が問題です。Ubuntuのアップデートは3日に一度くらいのベースでありますが、メジャーなものになると100MBを超えるアップデータをダウンロードしなければなりません。これを各マシンで行うわけで盛大なトラフィックが発生してしまいます。
ただ、アップデートしなくても一応動くのでそういう意味ではいいんですけれど、アップルが提供しているようなコンボスタイルのアップデータをダウンロードしてローカルで各マシンにインストールできる仕組みは欲しいと思います。

OLPCの面白い点はマシンが相互にネットワークメッシュを作っていくという機能です。これによって極めて信頼性の低いものではあるもののOLPCがただの箱に成り下がる可能性を低くしているし、OLPCも一応ネット接続がなくても各アプリは使えます。
よって、CherryPal PCはある程度ネットワークインフラの整っているところでのキオスク的マシンとしては面白いと思います。
途上国のネットカフェや学校のコンピュータ室にはいいと思います。

値段は249ドルとちょっと高め。せめて100ドル台にまで下がれば普及する気もしますが、Asus Eee PCが300ドルで買えてしまうのですからこの値段ではちょっと厳しい気もします。

2008年7月20日日曜日

VNC


VNCとはVirtual Network Computingの略でありていに言って他のコンピュータの画面を自分のPC上で表示させ、さらにその画面でリモートコントロールすることです。
今朝のTouchの中で言ってるVNCというのはつまりTouchにMacの画面を表示させて、TouchでMacをリモートコントロールする、そういうアプリケーションです。これが思いのほかすんなりとできてしまったので、味を占めた私は、「じゃあ、Leopardにも標準装備されているのだからやってみよう」と思い立ちました。
Leopard以前、Tigerまではこのリモートデスクトップを実現するためにはApple Remote Desktopという別のアプリケーションをインストールする必要がありました。しかしLeopardにはこのVNCが標準装備され、独立したアプリケーションとしてではなくFinderから直接その操作を行うことができます。そして、VNCという名称ではなく「画面共有(Screen Sharing)」と名付けられています。
このように、LeopardにおけるFinderはいろんなアプリケーションを本当にシームレスに同じインターフェイスに統合していて、その完成度はすごいと思います。Ubuntuを使っていて一番気になるのはそういうところがまだ荒削りというか、たくさんのステップを経なければたどり着けない、という点だと思います。
それでも、Windowsとは違い、そういうところをやたら「アシスタント」で粉飾してないところは良心的だと思いますが、MacのUIを使い慣れていると、MacOSがバックグラウンドでやっていることを忘れてしまうのですが、Ubuntuではまだそれを意識させるのです。
ということで、この「画面共有」の裏ではしっかりVNCが動いているわけです。
使い方は本当に楽で、コントロールされる側の共有設定で「画面共有」をオンにするだけ。あと、個人ネットワークでない場合は画面共有をするユーザをそのコンピュータのアドミンユーザに設定します。
あとはコントロールするコンピュータにもどり、Finderを開くとすでに左のペインにそのコンピュータの名前が出ているはず。
それをクリックするとFinderのメニューバーの下、右側に「画面共有」と「接続」というボタンが出ます。で、今回は画面共有をクリックして、プロンプトにコントロールされるコンピュータのアドミンユーザネームとパスワードを入れると、ウインドウが開いてそこにコントロールされる側のデスクトップが表示されます。あとは自分のコンピュータのようにそのウインドウの中で操作できるのです。
ただし、キーボードがコントロールされる側の設定に変わります。(私のケースでは、仏語キーボードになっているので、USキーボード上でAZERTY配列に変わってしまいます)
ちなみに、「接続」をクリックすると、AppleTalkが起動してファイル共有が立ち上がるようになっています。

面白いので、今度はUbuntuのVNCを動かして(UbuntuにもHardy HeronからはVNCが標準で入っています。)Macからアクセスしてみたら、簡単にできました。(アラートが出ますが、無視していいです。)

これは、使えます。リモートでソフトウエアをアップデートしたり、簡単にできるようになりそうです。

2008年7月19日土曜日

TouchのOSアップグレード

今回、万を期してApp Storeが開店、ようやくOSをアップグレードする意味が出たのでTouchのOSを2.0にアップグレードしました。
1月のアップグレードは特にいらない機能ばかりだったので、していませんでした。
また、7/12頃にアップグレードを試みましたが、サーバが混んでいたのかつながりませんでした。

で、今回もうさすがに混雑は収まっただろうと、再トライ。
230MBくらいのアップデータを1時間あまりかかってダウンロード、そしてiTunesが勝手にTouchをバックアップ、OSをインストールして、バックアップしたデータを全部自動でリストアしてくれます・・・
時間はかかるものの、すごいですね。

アイコンがなんかたくさん増えている。そして、今回の目玉、AppStoreもある。
これは、iPhone/Touchが単なるiPod(携帯)でなくなるためのキラーアプリですね。
それにしても、Appleは当初iPhone/TouchのアプリはJavascriptで・・・と言っていたと思うのですが、これはWiFi接続がないところでは使えない、ということで方針変更なのでしょうか。
いずれにしてもこのAppStoreはガジェット好き心をくすぐる・・・というよりもくすぐられすぎて悶絶死しそうなくらいすごいものがあります。

中でもすごすぎると思ったのはVNC。ちょっと描画がおかしいのと遅いのは気になりますが、MacのデスクトップがTouchから操作できてしまうというのはなんか目からウロコです。

それにSafariも少々スピードが上がっているし、YouTubeは特にスピードアップが顕著です。前はとにかく読み込みが遅くて見れたもんじゃありませんでしたけど、実用的なレベルに達したかな、という感じですね。(当然WiFiでつないでいる時の話です)

とにかく、これからはTouchと過ごす時間が長くなりそうです。今持ってるのは8GBなのですが、さらに使えるようになるのなら32GBのが欲しくなってしまいそうです。

葉っぱのソース


先月末にコートジボワール料理の話をしましたが、また友達に作ってもらいました。
今日作ってもらったのは葉っぱのソースSauce feuilleです。これは使う葉っぱによってバオバブの若葉、ホウレン草、キャッサバの葉等いろいろなものがあるのですが、今日はダカールで手に入りやすく淡白な味わいのサツマイモの葉でした。
それに牛肉とナマズの薫製(コン)を使って作ってもらいました。
とてもおいしかったです。
オクラも少し入れていました。

これを今日作ってもらったのにはわけがあって、ベナン料理にソースベクイというのがあって、これがいわゆるベナン風の葉っぱソースなのですが、これが食いたくて仕方なくなったので似せて作ってもらったのです。
でも、ベクイは多分最初に葉っぱを油で炒めている感じがします。そういう香ばしさがある。ゴマ油を加えるともしかしたら近い感じになるかもしれません。私が食べた中ではカジェウンの交差点の近くのレストランで食べたアグチ(野ネズミ)の薫製のベクイと、Hotel du Lacのレストランの魚介類ベクイがうまかったです。こっちはものすごく大きな薫製魚の切り身にエビ、カニが入っていました。
ベナン人に言わせるとベクイは白飯にかけて食べるものではないそうですが、私は白飯と食べるのが一番うまいと思います。

話を戻すと、この葉っぱソースは西アフリカではよくある料理のようです。バンバラやマンデングでは「サカサカ」というのがこのソースになります。これは古マリ帝国の英雄スンジャタケイタの物語にも出てきます。また、ギニア方面ではパームオイルで赤くした「ボロヘ」というソースがありますし、トアレグの人やニジェール人がモロヘイヤで作るファク(ファコホイ)も似ています。
料理を作ってくれる友達はコートジボワールの西、シエラレオネとの国境地帯に近いマン地方の出身で、この葉っぱソースはあちらでもよく食べるそうです。

今度は仕上げにゴマ油を入れて作ってもらおうと思います。

2008年7月17日木曜日

ブーゲンビリア


紅色のブーゲンビリアの花がきれいだったので写真を撮りました。
今でこそ鉢植えで日本でも室内で楽しめるようですが、ここではブーゲンビリアは生け垣に使われることが多かった木です。ダカールの古くからある住宅地、Point EとかFann Residenceに行くと立派なブーゲンビリアの生け垣がたくさんあります。ブーゲンビリアが生け垣として好まれたのは、もちろん茂みになって花が咲くという以外にもいろんな理由があります。
まず、非常に硬いトゲがあることから泥棒よけとして最適であること。花期が長くほとんど1年中花をつけていること、とても過酷な環境に強く枯れにくいこと、等々。
品種もいろいろ改良されて、オリジナルの赤紫色のものの他に山吹色、紅色、白、あとはピンクのもの、白とピンクが混ざっているのもあります。また、咲き方もしだれるように咲くもの、固まって咲くものなど本当にいろいろな種類があり、飽きさせません。

私はこのブーゲンビリアが好きで、5本植えていますが、最盛期には家が色とりどりの雲に囲まれたようになり、その下には涼しい木陰ができ、はらはらと舞い落ちる色とりどりの花びら(本当はガクなのですが)を眺めるのは情緒があっていいものです。

ブーゲンビリアは強いと書きましたが、色によっては難しいものもあるようで、庭師によると赤いブーゲンビリアは育ちにくいようです。
今回写真に撮ったものも、苗木を買って植えてからかれこれもう5年くらいになるのですが、同時期に買った山吹のものはもうすっかり木になっているのに、全然大きくならないので一昨年植え替えたところ、うまく成長し、きれいに咲きました。

植民地支配がアフリカに残したもの


アフリカ人と開発の話をしていると、たいがいヨーロッパ人による植民地支配の話になります。
もちろん、アフリカ独立の年と言われたのは1960年なので植民地支配は48年前までの現実だったのですが、日本の敗戦が1945年であることを考えると、そのスタートラインの差はわずか15年しかないし、徹底的に破壊された国土から立ち上がった日本に比べて、アフリカは旧宗主国が残したインフラを引き継いだわけですから、むしろ恵まれたスタートだったと考えられるわけです。
しかし、その後日本が非常に急速な発展を遂げたのに対して、アフリカの発展はとてもゆっくりしたものになっていきました。
まあ、アフリカ独立の年の4年後64年には東海道新幹線を開通させていることを考えると、日本の復興の速さは異常とも言えますが。

いったい、この差はどこで生まれてしまったのでしょう?

政治?教育?
戦後の日本の政治がアフリカの独立後の政治に比べて取り立てて優れていたとも思いませんし、教育などの制度が整っていて発展に必要な人材が揃っていたわけでもないと思います。
むしろ、アフリカ独立当時は例えばセネガルの落花生は高く売れていましたし、象牙のカカオもそうです。そういう自然資源とそれによる収入にアフリカは恵まれてもいたと考えられます。また、ヨーロッパに留学生を多数送っていましたから、優秀な人材も揃っていたはずなのです。

そうやって考えていくと、この相違を生み出す主な原因となるものとして、突き当たるのがやはり「植民地支配という歴史」なのです。

昔は「自分たちの無能をヨーロッパ人のせいにしてないで、とっとと働けよ・・・」と感じてしまったものですが、今考えると彼らは無能でもなく、自分の運命と向き合う勇気がないわけでもないのです。むしろ、そのように短絡的に感じてしまったその頃の自分は青臭く、未熟だったと思います。
日本にいる、あるいは先進国にいるアフリカ人を見ているとわかります。彼らは言語にしろ文化にしろとても柔軟にとけ込みます。アフリカ人同士で固まってるという印象もあるでしょうが、外国で日本人や中国人が作ってる「村」に比べれば彼らのコミュニティはオープンに見えます。それに、アフリカにいるアフリカ人よりももっとハングリーに、運命論に流されず、自分の人生を切り開いていく力を持ち、そういう努力もしています。
つまり、先進国という環境に置かれればアフリカ人は立派な先進国人になるということなのかもしれません。
もちろん、祖国を離れることによって大家族というお荷物から切り離されて、比較的小さな単位で家族とその支出をマネージメントできるというアドバンテージを先進国で暮らすアフリカ人は持っているわけですが、別に先進国でなくてもCEDEAOであればアフリカのどこでも働けるわけだし、アフリカ人が先進国でやるのと同じくらいの努力をアフリカでやれば、きっと成功するんじゃないかと思います。

もちろん、アフリカではのんきな私でも頭を抱えてしまう停電をはじめとする基本インフラの問題がありますし、失望しか生まない政治の現状とか、腐敗した官僚とかそういうマイナス要因もたくさんあることは事実です。

では、植民地支配という歴史がアフリカに残したもの、アフリカ人が自分の国を良くしていこうとすると、足を引っ張るもの・・・それは実体のない一種の「呪い」のようなものなのかもしれません。

この土地では努力しても報われないという思い込み。
文学的な話になってしまいますが、アフリカのこの運命論は「人」に根ざしたものでなく、「土地」に根ざしたものなのかもしれません。
セネガルでは組織のトップに外国人がいる方がうまくいくことが多いのですが、それは一種のおまじないみたいなもので、トップがその呪いの影響を受けない外国人である、という象徴的な意味でそうなるのかもしれません。

2008年7月15日火曜日

CYVOGUEサイト

現在、アクセスできなくなっており、ご迷惑をおかけします。
ホスティングしているのがフランスの会社なのですが、ドメインネームの期間終了についてはメールしてくるのに、ホスティングの方については全く連絡もなく、同時に契約したにもかかわらず、なぜかホスティングの方が早く期間が終了してしまったようです。
この機会にサイトそのものを見直し、どのような形でWebを再開するか、考えることにします。

iPhone格差は広がるのか?

世界中ですでに100万台売れたそうで、ケータイ各社もAppleもニンマリでしょう。
しかし、iPhoneのちゃんとした販路のない国ではiPhone Envyがよりいっそう高まるのではないかと思います。
ここセネガルでもiPhoneを持った人が店にきますし、買わないか?と持ちかけられたこともあります。
でも、ここでiPhoneを持って、ジェイルブレイクしたとしても使えるのは通話とSMSだけ・・・最近携帯のWebもあると聞いたことはあるのですが、どんな料金体系なのかもわかんないし。
アップデートしようとすればただのオブジェに成り下がることも確実・・・そんなもの、いりません。

ということで、現状ではiPhone格差は広がっている、と言えると思います。

アフリカでは、ケータイはほとんどがプリペイドで、もちろん契約プランもあるのですが企業の業務用で使われていることがほとんどだと思います。そういう中で安価なプリペイド、しかも使用料を自分でコントロールでき、請求書を受け取ってビックリということもない安心感もあり、言ってみればここの現状に合っているものが普及しています。普及率そのものはほとんど先進国と変わらないレベルまで来ていると思いますし、プリペイドのサービスとしては日本のサービスなどより遥かにいいです。通話料は時間帯によって割引がありますし、国際通話や国際SMSも標準で使えます。プリペイドはそれでも契約プランよりは通話料が高いのですが、それでも売れている。これはキャリアにとっても喜ばしいことでしょう。

このような現状を見ると、iPhoneの正規プランとかけ離れているというのがすぐわかると思います。契約ベース、しかも2年間という長期間の縛りがある、そういうものはアフリカでは無理(南アを除いて)だと思います。考えてみれば昨年iPhone第一世代が発売されてから1年しかたってないのです。そのとき買った人はまだ最初の契約が1年残った状態。それを考えるとiPhoneのインパクトと普及はものすごいスピードで広がっていると言えると思います。

ここから先は憶測ですが、AppleはこのiPhone Envyを煽っているフシがあると思うのです。その試金石とされたのは日本じゃないのかな?と。
そしてiPhone 3Gも第一世代のiPhoneがそうであったように、トランジション的製品なのではないか?ということです。確実にハードメーカーとして携帯のマーケットに食い込むことで次世代の通信規格をリードする意図があるのではないか?それがWiMaxなのか、他の通信方式なのかはわかりません。ただ、現状を考えると、キャリア主導で行ってきた通信の規格開発にAppleがもの言える状態になったと思います。iPhoneのユーザインターフェイスが他のスマートフォンと違うのは、他のスマートフォンは通信規格があってそこでキャリアから提供されているサービスがあって、その上でこういう風に使えますという「機能」なのに対し、iPhoneのそれはユーザが「何をしたい」かをはじめに考えられている。その中でiPhoneがWiFiを使ったり、3Gを使ったり、通話を使ったりする。これはその昔、NeXTが言っていた「オブジェクト指向」ということなのだと思います。
そして、それを完全にシームレスに実現するためには現状の3Gでは満足ではないのだと思います。iPhoneが示唆しているものはその先にある。そして、先進国で新しい通信規格ができ、インフラが整ってはじめて、それが途上国にくるのかな?という気もします。
その牽引力としてiPhone格差をわざと作り出している気もします。

2008年7月12日土曜日

iPhone発売

ですね。
アメリカではアップルストアや電話ショップに、日本ではソフトバンクに列ができているようです。
これって、ソフトバンクにとってはものすごいイメージの面で「得」なんじゃないでしょうか?
私は昨年初代iPhoneが発売されたとき、丁度NYCで遊んでいたのですが、その前にはSohoのアップルストアなんかは空いててメールチェックをするのに重宝していたんですが、発売後はもうものすごい人でメールチェックどころではありませんでした。

さて、iPhoneが発売されたところで、多分浮き彫りになってくるのはデータ通信料の値段が高いということじゃないのかな、と思います。
これは、固定線でのインターネット料金の移り変わりを見るとわかるのですが、昔はモデムで音声通信をしていたので、つなげばつなぐほど電話料金がかさみました。またプロバイダによっては従量課金制になっていて、長時間つないだり、大きなファイルをやりとりすればそれだけお金がかかったのです。アメリカでは近距離通話は定額なので、「電話がつながりにくくなる」だけですみましたが、これも従量課金だった日本やヨーロッパでは、音声を使わないADSLが早く普及しました。ADSLは定額でどれだけデータをやりとりしようと金額は変わりませんが、回線の種類によってデータのスピードが違う形になっています。
つまり、データ通信を他の機種に比べて多く行うiPhoneの普及はキャリアにそれだけデータ通信インフラの改善を要求するでしょうし、インフラが整うにつれて、また新規参入キャリアが増えることで、データ通信の価格そのものを安価にしていくのではないかと思います。
そして、その間にiPhoneそのものは新たな進化を遂げていくのだと思います。

それにしても、Touchはどうなるんでしょうね。値下げになるのかな?

2008年7月10日木曜日

ニジェールの買い食い


私はニジェールのニアメに1年半いたのですが、その印象は一言で言うと「デカいタンバクンダみたいな所」(ニジェール好きの人ごめんなさい!)・・・。
首都なのですがアフリカの大都市にあるようなもわ〜っと人がいて多種多様でエネルギッシュ!ってところが全然ありません。アビジャンやダカールはもちろん、コトヌさえそういうエネルギー感があるのに。特に日曜ともなればゴーストタウンです。
また、ポルトノヴォやウィダ、サンルイやジガンショールのようなおもむきのある街でもないです。
日常生活から抜け出せるところがありません。ダカールなら海辺に行くとかできるのですが、ニアメではせいぜいGrand Hotelのテラスでニジェール川に夕日が沈むのをながめるくらい。しかも、私はGrand HotelよりはHotel Terminusの雰囲気の方が好きなのです。
Terminusはターミナルという意味ですが、別にバスのターミナルがあるわけでもなく、実はこのホテルがあるところは鉄道駅予定地(だったところ)の真ん前なのだそうです。フランス人はアフリカの植民地に鉄道網を作ろうとしました。ダカール=バマコ間の鉄道、コトヌ=パラク間の鉄道はその名残ですが(今でも使われています)この2つの線の終着駅の予定地がここニアメのTerminusだったわけです。そしてこのプロジェクトは夢に終わり、ホテルとその名前だけが残された・・・というわけです。

またニジェール人は一般にとてもおとなしい人が多く、セネガル人相手のようにガンガン文句つけたりするとシュンとなってしまうので、まるでこっちが悪いことをしているような気にさせられます。
そんなニジェール人が顔色をかえるのを一度だけ見たことがあります。それは親日家のエジプト大使館職員が私の職場の日本人をみんな招いてくれたレセプションの席でした。立食パーティで、メインは羊の丸焼き(ミシュイといいます)だったのですが、このミシュイが運ばれるとあのおとなしいニジェール人がどわわっとダッシュしたのです。私はそのときその場で知り合ったセネガル人とおしゃべりしていて「人が減ったら取りに行こう」と話していたのですが、5分もたたないうちに人がいなくなったので取りに行くと羊は骨だけになっていました・・・

さて、ニジェールでも現地食グルメを堪能していた私ですが、ここでの現地食は日本人の間で「ぶっかけ」と呼ばれています。ですが、この「ぶっかけ」、作っているところがベニノワーズ、トーゴレーズと外国の名前がついているのです・・・基本的にベナンやトーゴの料理なのですね。ニジェールのナショナルプレートはファコと呼ばれる黒い海苔のようなソースです。これはおいしいですけど、トアレグの人が作るので別にニジェールの料理というわけではないようです。(ファコホイと呼ぶようです)
そんなニジェールの食生活で楽しかったのは買い食いでした。特に夕方から夜にかけてです。街の交差点にドラム管が立っていて何か焼いています。小麦粉の袋を切った紙に包んだもので大きなカブトムシの幼虫みたいな形をしています。これはトゥクニャと呼ばれていて、中には牛か羊のモツが入っています。その隣には大きなソーセージを焼いて売っています。これは私はブダンと呼んでいましたが、とてもうまいです。他の国では見たことないですね。あと、普通の焼き肉(ディビテリ)もありますが、これはセネガルの方がおいしいです。
ハウサ風の串焼き肉はトンコと呼ばれる粉をまぶしてあるのが特徴です。これも時々食べたくなるんです。
あと、TerminusとGrand Hotelの間に、「アブロ」を売ってるおばちゃんがいました。アブロはどっちかというとベナンとかの食べ物なのですが、一言で言って「蒸しパン」です。これに小魚を油で揚げたものとトマトソース(辛い)を合わせて食べます。これがなかなかうまいのです。
また、夜頭の上にたらいを乗せてその上に器用に石油ランプをのせて、街灯などない暗いニアメの街路をフラーっと歩いているのはキリンシ売りです。これは干し肉で、ざくざく薄い板状にした肉を干して、味付けしたものです。私はそんなに好きではないのですが、セネガルとかにおみやげにすると喜ばれました。これはニジェールならではのものなのですね。

おやつ

一昨日あんまり暑かったので、運動をさぼってしまったので昨日は朝の涼しいうちにジムに行っておこうと思って行ったら同じような考えの人で混んでいました。アフリカ人も考えること同じですね。
今日は比較的涼しかったので、やっぱり空いている午後に行きました。案の定空いていたのでトレッドミルをやったあと、インクラインベンチとかアーノルドフライとかはりきってやったら、目が回るくらいおなかがすいてしまいました。
帰りにちょっと寄り道して、昔うちの隣でブティック(セネガルのコンビニみたいなもの)をやっていたミシェルが店を畳んだ後(家賃が高すぎる!と言ってました。)働いているパン屋に行ってドーナツを買ってきました。600FCFA(150円くらい)で中くらいの大きさの砂糖でコーティングしたドーナツが10コ入っていました。これはいわゆるケーキドーナツのたぐいで、パン生地ではありません。シンプルなのですが結構おいしい。
実はアフリカではおやつにも困ったことがありません。スーパーに行けば普通に先進国にあるようなおやつも手に入りますし、中心街のちゃんとしたパティスリーに行けば、立派なケーキを買うこともできます。近所のパン屋には、日本ではすでに絶滅してしまったバタークリームのとてつもなく甘くてボソボソしたケーキもあります。また、ダカールにはちゃんとしたグラシエ(アイスクリーム屋)もいくつもあり、とてもおいしいです。高いので私は滅多にたべませんが・・・
昔(1980年代後半)だと、ブティックの駄菓子の定番というのはDelicocoという薄いココナツサブレが20枚くらい入った奴が175FCFAくらいで買えました。よく食べていたものです。今でも時々食べたくなるのですが、もう作っていないようで残念です。今のブティック菓子の定番は、Biskremeという中にチョコクリームが入っているクッキービスケットです。300CFAなのですがこれがなかなかおいしい。
あと、ミシェルのブティックにはヘールトゥーバというお菓子があって、日本の盆菓子みたいな食感で、ちょっとイングリッシュショートブレッドみたいな味のするお菓子を売っていました。これは4つで100CFAでした。
私は食いしん坊なので、何でも見たら食べてみたくて仕方なくなるのです。
昔、仕事の出張で地方に行ったりした時もよくそうやって買い食いしていました。あるとき、セネガル東部のタンバクンダから、南部のコルダに向かっていたとき、ギニア(コナクリ)との国境に近い村に市が立っていて、通りがかるとなんかおばさんが竹のかごにお菓子をいっぱい乗せて売っていました。まるでカップケーキのような形をしているのですが、表面がもっとカリっとしていてまるでココナツのクッキーみたいな食感だったのを覚えています。運転手の話だと古くなったパンを砕いてまた固めて作るんだとか言ってましたが、あのお菓子はその後巡り会ったことがありません。
また、お菓子ではなくてもおやつはたくさんあります。雨期の終わり頃にコルダやジガンショールのようなセネガル南部に行くと、タロ芋をゆでたものを売っています。ジャベレと言いますが、これは日本の里芋みたいな感じ。それに唐辛子とマギーブイヨンと塩と胡椒を砕いて混ぜたものをつけて食べます。あと忘れられないのはコートジボワールの地方に行くとある食用バナナの皮を剥いて炭火で焼いたものです!これもすごくおいしい。ほんのりフルーティーでちゃんとバナナのにおいなのですが、芋みたいな食感になります。
最近あんまり見ないのですが、ダカールの街角では夕方になるとファタヤを売ってる女性を見かけます。ファタヤは魚団子をパン生地の皮で包んで揚げたもので、唐辛子の入ったトマトソースをつけて食べます。大豆を粉にして丸い団子にして揚げたのはアカラと言います。
実は買い食いで面白いのはニジェールのニアメなのですが、それはまた別の機会にご紹介します。

2008年7月9日水曜日

OpenMoko Free Runner


先日NOKIAによるSymbianのテコ入れについて書いたときに、「五つどもえの戦いに・・・」と書いたのですが、実はこれを失念していました。ということで6つどもえになっていくのですね。
今日、ArsTechnicaにこのFreeRunnnerについての詳しい説明がありました。
これを見て、正直な感想ですが今やどのソリューションをとってもユーザインターフェイスという点ではあまり変わらないな・・・と思いました。そうなってくると、ブランド力とプロダクトデザインの勝負になってくる。特にこのFreeRunnnerはWinベースのスマートフォンのようにフィジカルなキーボードを備えているわけでもなく、NOKIAやAppleのように既に浸透したブランド力があるわけでもなく、AndroidのようにGoogleのバックアップがあるわけでもないのです。
確かにLinuxを使い慣れている人向けのガジェットとして面白い(ケータイでTerminalが使える!とか・・・)ですが、一般の人がケータイでsudo apt-get...とかをすることはまず考えられないと思います。
このままではAndroidが出たとたんに一発で負けてしまいそうなOpenMokoですが、これをたとえニッチな層にでも支持されるにはどうすればいいか、妄想してみました。

1. これまでのケータイデバイスはほとんどクローズドだったので、これをPCに近いカスタマイズができるようにする。例えばRAMが増設できるとか、ストレージを増量できるとか。
2. コンポーネント化する。ドッキングステーションでFreeRunnerを差し込むだけで大画面モニタに接続してPCとして使えるようにする。

これくらい大胆なことができなければすでにややこしくなっているこのマーケットに食い込むのは難しいと思うのですが・・・
でも、こういうコアな変わったものって面白いので取り上げておきます。

2008年7月8日火曜日

アフリカの開発とメタボ


この2つは似ているような気がしてなりません。
先進国病のメタボと貧乏なアフリカがどうして似ることがあるものかと思われるかもしれません。でも、この2つには明らかな共通点があります。それは「基礎体力のなさ」です。メタボとは消費するカロリーに比べて摂取するカロリーが多いため、その余剰分が脂肪となってたまり、それが内蔵の機能を蝕んでしまうそういう症候群です。アフリカの場合、生産するお金より消費するお金が多くて、その足りない分が借金となってふくれあがっていくわけです。

さて、ここでメタボ「対策」を考えてみます。一般に「取りすぎているカロリーを減らす」「カーディオトレーニングでカロリーを消費し、脂肪を燃やす」ことがメタボ対策として言われています。これは基本的には間違っていませんが、それのやり方が間違っている場合が多いのです。まず、ダイエットですが確かにカロリーを減らすことは必要ですが、極端なダイエットはまず続かないし、やり方によっては必要な栄養素が足りなくなったり、他の病気を誘発することすらあります。(骨粗鬆症とか)それにまず間違いなく気を抜くとリバウンドします。
また、カーディオですがジムなどで必ず言われるのは「20分以上やりなさい」ということです。しかし20分のカーディオだけではカロリーは消費してもトレーニングにはなっていないのです。つまり、ダイエットとカーディオでは一時的にメタボ状態を改善することはできても、やめたとたん元に戻ってしまうし、メタボな体質は全く良くならないのです。
メタボと本気でサヨナラするためには、メタボ体質からの脱却が必要なのです。

(この図式はアフリカの問題といちいち符合しますが、そこを細かく指摘することはしません。想像にお任せします。)

さて、メタボ体質からの脱却、それはズバリ「筋トレ」です。
20分カーディオをやって疲れきってしまうのを、10分にして終わったらあまり休まずに筋トレをやればいいのです。筋トレのやり方は自我流でかまわないのです。でもできるだけ大きな筋肉を育てると効果が上がりやすいでしょう。
メタボを作ってしまうのはカロリーを消費しない怠惰な駄肉そのものなのです。その駄肉をちゃんと機能しカロリーを消費し、本来の力を生み出す機関に変えていくこと、それが筋トレなのです。駄肉で20分カーディオをやるのと、駄肉のない筋肉を20分動かし続けるのと、どちらが効果的にカロリーを消費できるか、明らかだと思います。カロリー消費の大きい筋肉だとダイエットも必要なくなります。バランスよくしっかり食べることが体質改善には必要なので変なダイエットはかえってマイナスです。効果的に筋肉をつけるのによいと言われているのはロウカーブダイエットと呼ばれるもので、炭水化物をひかえてタンパク質中心の食事にすることです。ただ、これもドラスティックにやる必要はないと思います。意識してタンパク質をとり、ご飯や甘いものはひかえめにするというくらいでかまわないと思います。
筋肉は一度ついてしまうとたとえ数週間〜数ヶ月トレーニングを休んでも、また始めればすぐに回復するようになります。
よって、長い目でみればもっとも効果的なメタボ対策になるというわけです。

アフリカの開発問題も似たような形で、「体質改善」が必要なんだという気がしてなりません。そして基礎体力を地道に上げていくことによってしか本来の意味での「持続可能な発展」というものはあり得ない気がするのです。

2008年7月7日月曜日

Linuxネットカフェのゆくえ


これまで何回もUbuntuのインストールやオープンソースの重要性について書いてきました。それは、CYVOGUEの次はLinuxベースのネットカフェCYNUXを開こうと思ってきたからです。残念ながら今のところこれはまだ計画段階で様々な理由によりストップしています。
その1つがダカールの不動産価格の高騰。現在ネットカフェはあちこちでつぶれています。これは売り上げに比較して家賃が高すぎるのです。また、ダカールの経済状態(燃料価格高騰、食料価格高騰)などによってネットカフェの運営コストは上がっているのに客の購買力は下がっているというのもあります。あとは機材的な理由なのですが、MacMiniに相当するような適切な機材がないことです。
ASUSTEKがもうすぐEee Boxを発売するようで、これは値段もスペックも消費電力もよさそうな感じなので、これが簡単に手に入るようになった時にはきっとこの計画を実現させたいと考えています。そしてCYNUXをダカールでのLINUXとオープンソースのショウルームみたいにしたい、と考えています。
なぜか。
今まで書いていなかったのですが、Ubuntu/LinuxはMacやWindowsと同じような意味でのOSではありません。LinuxというのはMacで言うならDarwinにあたるシステムのコア部分で、それを一般ユーザーが使える形にまとめあげたものをディストリビューションと呼びます。UbuntuはLinuxカーネルを持つOSにGnomeデスクトップ環境を搭載し、一連のアプリケーションを搭載したディストリビューションです。Ubuntuにはオフィスアプリを買わなくても最初からOpenOffice.orgがインストールされていますし、Photoshopを買わなくてもGIMPが、iTunesやiPhotoにあたるアプリケーションも全部含まれています。そして、他のアプリケーションが欲しい時はインターネット経由で「レポジトリ」と呼ばれるすべてオープンソースのソフトウエアデータベースから探してダウンロードできます。
Ubuntuを開発、管理しているのはUbuntuの開発コミュニティですが、南アフリカの大富豪マーク・シャトルワース氏が設立したヨーロッパベースのカノニカル社からの支援を受けています。そして、その使用、再配布については完全にフリーです。
また、プロプライエタリ(フリーではないもの)なソフトウェアについても、直接それらの提供先からダウンロードして使うことができます(Adobe Flash plug-inとかSkype、Google Earthなど)。またWineというWindowsのエミュレータをインストールして自分の持っているWindows用のソフトを使うことさえできます。
また、教育用ソフトを多数バンドルしたEdubuntuという学校向きのバージョンもあります。
これは実にアフリカ向き、開発プロジェクト向きだと思います。
それとこれも重要なことですが、Ubuntuは基本的にハードウェアの要求が低く、Pentium3くらいの古くて遅いCPUでも楽々動きます。サイズもコンパクトで1GB前後です。
こんな柔軟で安全でしかもフリーな良いものを眠らせておく手はない・・・
XPの海賊版を使って、しょっちゅう再インストールをやるよりも、Ubuntuを導入した方が生産性も上がるはずです。
このCYNUXプロジェクトでは、協力してくれるパートナーを探しています。メールでご連絡ください。

2008年7月6日日曜日

UPS(無停電電源)

CYVOGUEではもちろんすべてのコンピュータ、そしてモデムルータにUPS(無停電電源)をつけています。定格は650Wのものを使っています。これには整流作用もあり、電源電圧が上下しても、出力電圧は一定に保たれるようになっています。停電がほとんどない日本などではあまり必要のないものです。そして、基本的に数秒から数分の停電時に電源を落とさないようにする目的で作られています。
つまり、ここのように数時間レベルの停電には対処できませんし、頻繁な停電はUPSの寿命を縮めてしまいます。
停電が起こるといっせいにUPSがピーピーとかなりな音量でアラートを発するので、そんな中でコンピュータを使い続けるのは不可能です。できるのはさっさと作業を終え、保存できるものは保存してコンピュータをシャットダウンすることです。
もちろん、UPSが完全に放電して使えなくなるまでの時間は接続している機器の消費電力によります。iMacなどは15分くらいで完全になくなってしまいますが、ルータモデムだと約1時間くらい使い続けることができます。(ピーピーを聞きながら・・・ですが)
さて、CYVOGUEを開店したときにこれをそろえたので、使い続けて約3年になり、6台のうち2台が全然効かなくなりました。停電するとすぐに電源が落ちてしまうのです。
仕方ないので新しいUPSを買って入れ替えました。それで古いUPSをアリウンと開けてみると、中にはもちろんコイルとバッテリが入っているのですが、このバッテリを見てアリウンが「このバッテリ、スクータのバッテリと同じだよ」と言うのです。聞くと、1万CFA(約2500円)で売っているそうです。ちなみに新品のUPSは25000CFA(約6000円)なので、かなり安い。ついでに「停電したときにピーピー鳴ってるのを、はずせる?」と聞いてみるとメイン基盤の真ん中あたりにある黒い直径1cmの丸い筒みたいなものらしく、「これをとっちゃえばいいんじゃない?」と言うので、もうどうせダメなんだし、「じゃあ、取ってみちゃって」と取ってもらいました。
そして、新しいバッテリを入れてテストすると、ちゃんと動くし電源を引っこ抜いてもピーピー言わない快適なUPSができました。
今、このUPSはベッドサイドに置いて、停電時にもIKEAの線型Dioderで本が読めるようにしました。
もう1台はリビングに設置しようかと思っています。

セネガルの「純」家庭料理

先日書いた通り、セネガル料理というのは西アフリカならたいていどこにもレストランがあって食べられます。その代表的な料理がチェブジェン(赤・白)、ヤッサ、スープカンジャ、マフェ・・・といろいろあるのですが(Wikipediaのページはココ)、これらは家庭料理であると共に「お客様に出せる料理」でもあるのです。そして実はレストランでは食べられない家庭料理というのもあります。
これもいくつもあるのですが、代表的なものをあげるとすれば「チェブケチャ」だと思います。
チェブはウォロフ語で米のことです。で、ケチャは天火で干した魚、特ににしんに似たヤボイと呼ばれる魚の干物をいいます。(ちなみにジェンは生の魚のことです)これは日持ちがしてしかも安いのでタンバクンダなどではよくある料理です。
実はこの干し物類は結構セネガルには種類が多く、ケチャの他に海の魚を一応スモークして発酵させたゲッジ、川魚のなまずをスモークしたコン、巨大な巻貝を干して発酵させたイェット、小さな巻貝を干したトゥファ、牡蠣を干したヨホスなどがあります。
で、家庭料理のチェブケチャはケチャの他にゲジやコン、イェットやトゥファを少々混ぜて使います。
作り方はチェブジェンとほとんど同じで、まず具を煮てトマトベースの味付けにし、その煮汁で米を炊きます。ケチャは細かい骨が多いので身をほぐして小さくし、米に混ぜこみます。また、たいてい米と一緒にニェベと呼ばれる小豆のような豆を一緒に炊きます。できたら、具をのせて終わり。
これがとてもうまいのです!干した魚は生の魚に比べて、含有するタンパク質が適度にアミノ酸に分解され、とても栄養価が高いですし、日光に当てることによって味わい深くなります。そういうのが何種類も入っているのですからまずいわけはありません。また、野菜はにんじんにキャベツ、キャッサバ、なすなどが入っていてこれまたビタミンたっぷり。
私が「チェブケチャが好き」「チェブケチャが食べたい」というとセネガル人はたいてい笑います。それだけ一般的なありふれた料理なのですが、お客様用に作られた料理よりおいしいことが多いです。
あと、これはカザマンスの水田地帯でないと食べられない料理があります。それは水田にいる小魚(2〜3cmの)をたくさん集めてきれいに洗い、塩とレモン汁で煮詰めたもの、これをジャペットといいますが、これを炊きたての白飯にのせて赤いパームオイルをかけて食べるのです!
あと、家で作るスペシャルなスープカンジャというのを食べさせてもらったことがあります。スープカンジャとはセネガル風のオクラのソースで、他の国のオクラソースと違うのは大量にパームオイルを入れて真っ赤にするところですが、そのスペシャルスープカンジャには牛肉、鶏肉、コンそして車エビまで入っているのです。あれにはまいりました・・・レストランで食べていたスープカンジャっていったいなんだったんだろう??と思ってしまいました。
オクラで思い出しましたがベナンのコトヌの現地レストランで食べたオクラソースには小さなカニがたくさん入っていてとても食べにくいのですがむちゃくちゃダシが効いていておいしかったです。

とにかく、「純」家庭料理を食べてみると、ここらの食生活の豊かさを実感できます。

2008年7月5日土曜日

CYVOGUE CAFE


カフェトゥーバをゆっくり飲めるよう、カフェスペースを作りました。カップケーキの販売も考えています。

MacBookAir (SSD)値下げ

AppleがMacBook AirのSSD(フラッシュメモリー)バージョンの価格を500USドル、日本では63000円、値下げを行いました。これはMBAの発表時はまだ高価だったSSDの価格がそれだけ下がったという理由なのですが、この「なんでも値上げ!」のご時世にちゃんとこういう値下げを行ってくれるAppleの商法はなかなかすごいと思います。(妙な勘ぐりをすれば、SSDバージョンが高すぎて売れなかったのか?という見方もあるでしょうが・・・)これだけHDDバージョンとの価格差が縮まれば、SSDバージョンを買う人も増えるでしょう。
というのは・・・単純には比較できないと思うのですが、私がUbuntuを入れて使っているDynabookはMBAと同じような1.8inchのHDDが入っているのです。そして、これがかなりトロい・・・MBAはメモリを標準で2GBを積んでいるけれど、Leopardの重さを考えればMBAの動きはその名のごとく空気のように軽くビュンビュンというわけにはいかないのではないか、HDDへのアクセスが発生したとき一瞬止まる感じになるのではないか?と考えてしまいます。
また、SSDの値段が下がったことによって考えられるのはiPodの値下げもあり得るんじゃないでしょうか。Nanoのメモリ倍増とかTouchの値下げとかもありそうな気がします。あと、Classicの運命も、もうなんか先が見えてきた気もします。

2008年7月4日金曜日

アフリカで暮らすということ


私が最初にアフリカの土を踏んだのは1988年の2月でした。あれからもう20年もたつなんてちょっと信じられませんが、砂嵐で白く霞んだダカール空港に降り立った時は「とんでもないところに来てしまった・・・」と思ったものです。そのときは青年海外協力隊員として、セネガルの東部にあるタンバクンダに派遣されたのですが、最初の数ヶ月のことは今も鮮烈に覚えています。タンバクンダはセネガルの中でも最も気候が厳しく、未開なところで、とにかく暑く、夕方など何を触っても熱いのです!空気はもちろん、家の壁も金属部分も、はては水道の蛇口をひねってもお湯が出る始末。今なら温水器がいらなくてなんて便利!と思う余裕がありますが、その頃は私も若かったし初めての海外だったしとにかく精神が拒絶しました。
そのうちに自分の心地よい環境は自分で作り出すものだということを悟り、その作業が楽しくなっていくのです。
これを身につけてしまえばどこに行っても自分が心地よく暮らす術を編み出すことができるものです。
だから、アフリカで暮らすことも、東京で暮らすことも、ニューヨークで暮らすことも大して変わらないのです。あとは懐具合との相談にすぎません。途上国であることの特殊性なんて存在しないと思います。
ライフラインがどうこうと文句を言ったとしても、それを途上国だから、アフリカだから・・・と結論づけるのは間違っていると思います。むしろ、一歩踏み込んで国際社会の中の石油の値段だとか、そういうグローバルな問題の発現と見るべきだと思うのです。
それに、パリなんかでもしょっちゅうメトロや国鉄がストをしていますし、不便という意味ではあまり変わらない。
食料問題にしても、グローバルな食料価格の高騰が原因であって、それをまたぞろ「アフリカの飢餓!」みたいに報道されたり、受け取られたりするのはとんでもない偏見だと思うのです。
もちろん、アフリカの一部には内戦をしているところもあり、心ない独裁者によって国民生活が脅かされているところもあり、それは大きな問題だと思います。でも、それは「アフリカだから」「途上国だから」じゃないと思います。
開発や発展のカギとなるのは、そういう偏見というか運命論(fatalisme)から抜け出すことだと思います。
人間というものは基本的に生きのびようとする指向性を持っています。たとえ、どんな環境に置かれたとしても、生き延び、よりよい生活を手にいれようとする、そういうパワーを信じて人々をその運命と対峙させるのも1つの「人道」という気もします。
アフリカはアフリカとして生きていくしかないし、それがアフリカのアイデンティティというものです。
ダカールの人たちはみんなそれぞれ問題を抱えながらも、それなりに楽しく生きていると私は思います。

スポーツジム


今日は家の近所にあるスポーツジムに行ってきました。一応自宅にも筋肉トレーニングの器具があって一通りのことはできるのですが、カーディオはないし、ピンポイントなトレーニングができないので。
このジムCondor GymはCYVOGUEからStade Demba Diopの裏の道をスタジアムの端まで行ったところの角にあります。で、最初に行った時すごく驚いたのですが器具にみんな日本語の説明がついているのです!
よく見ると日本でよく見るスポーツクラブのロゴがついていたりします。話を聞くと、これらの器具はすべて日本から運んできた中古の器具。
オウナーは日本に渡ったセネガル人だったのでした・・・
彼は日本で働いているので、ジムは彼の兄弟が運営しています。
日本のスポーツクラブはGOLD GYMなんかのハードコアなジムを除いてフィットネス中心で、カーディオ器具が実に充実しています。このジムもたくさんのエアロバイクやステッパー、そして3台のトレッドミルがあります。その割にもの足らないのがフリーウエイトエリアです。マシンジムは普通レベルですが、ローカルジムのレベルではマシンの状態もとてもよく、満足なレベルだと思います。
それに値段も手頃で、1ヶ月12 500FCFA(3000円強)。日本だとデイタイム限定でも8500円とかですから、かなり安いと言えます。
なんと言っても家から歩いて5分というのがなんとも便利で、これなら余裕で毎日行けますし、ちょっとトレッドミルだけ・・・という使い方もできます。チェストプレスのベンチなんかは1台しかなく結構混んでいるので、そういうのは自宅でやることにしています。

2008年7月3日木曜日

教育とLaicite


ベルばらで思い出したのですが、フランス革命時の人権宣言のもう1つの産物として、公的教育におけるLaiciteの徹底というのがあります。Laiciteとは「市民生活と宗教との分離」を意味する言葉でわかりやすく言えば日本の「政教分離」のコンセプトに似ています。これはもちろんフランスの歴史において教育と宗教が深く関わっていたという歴史的なものがあって、新しい政治体としての共和国(Republique)とその国民教育を受け持つ公立学校での教育のあるべき姿として宗教的中立が絶対に必要であるというコンセプトに基づいているのです。よってフランスの教育制度はイギリスやアメリカ、日本のそれと全く違うと言えます。
数年前、フランスの公立校でのイスラム教徒の女子のフラール(顔をかくすかぶりもの)が禁止されたことが大きな社会問題になりました。他国の人にしてみれば「なんだ、そんなくだらないこと。好きにさせればいいじゃないか?」と思うのが普通なのですが、フランスではそういうわけにはいかないのです。それは、この「フラールをかぶる」行為が公的教育のLaiciteに抵触するからです。そしてフランスの公立校とは言ってみれば共和国人としてのよき市民となるための教育を受けるところなのです。だからフランスの公立校には十字架をかけることすら許されていない。そして、フランスの公立校では移民でも外国人でも入学を許されればフランス人と同じ教育が受けられるし、基本的に無料です。
これを見てもわかるように教育とは多分に歴史的かつ政治的なものなのです。
また、フラールの問題を考えてもわかるように、国としての論理構造にかかわる重要な問題でもあります。

さて、仏語圏アフリカでもその歴史的経緯からほとんどの国でこのフランス式の教育とLaiciteのコンセプトを引き継いでいます。
しかし、Laiciteに関しては近年セネガルなどでは変わり始めている気がします。
教育のウォロフ語化といい、例えばコートジボワールやベナンのように言語的多様性のある国では起きないような現象がおきている気がするのです。ギニア湾岸の多民族国家ではフランス語が唯一の共通コミュニケーション手段であるため、教育も基本的にフランス語で行われていますし、言語とともにその教育システムとかコンセプトもそのまま引き継いでいます。
私はセネガルにおける教育のウォロフ語化を嘆いているのではなく、ウォロフ語がピジン化しやすい言語であることを考えると教育システムもピジン化しようとしているように見えるところが怖いのです。
これは、教育と政治の深い関係を考えると政治のピジン化につながりかねない。政治のピジン化がまねく共和国のコンセプトのピジン化はすなわち憲法のマニピュラシオンにつながっていくのではないかと・・・もちろん、これは憶測にすぎませんが。
そして、憲法のマニピュレーションの最も典型的に現れるところ・・・それは大統領任期の制限の撤廃です。
最近カメルーンでこれが起きたようですし、ニジェールでも来年の選挙に向け、この作戦が進行しているとも聞きます。
しかし、これが示唆するものは将来の政治的不安と軍政の恐怖だと思うのですが・・・私の老婆心に過ぎないことを心から祈ります。

ちなみにドラクロワのこの絵はiPodのCFに使われてるCOLDPLAYのジャケットにもなってますね。

ベルばら


西アフリカ仏語圏では結構どこでもCanal Satというフランスの衛星放送を比較的安く受信できます。最近はADSL回線を経由したOrangeBoxもありますが値段的には同じくらいです。その一番安い契約プランにはTF1とFrance 2の一般地上波放送に加え、iTeleやFrance24、それにRTL9なんかのチャンネル、そしてMangasというアニメ専門チャンネルも含まれています。昨日、このチャンネルでベルばら(仏語ではなぜかLady Oscarというタイトル)の最終回だったので見ていたのですが、これが日本語版とかなり内容が違うのです。最終回ともなれば見所満載、印象に残るシーンいっぱいなのでそこのところをフランスではどう言うのか気になるところですが・・・
まず、バスチーユ襲撃の中でのオスカルの死ぬシーン、日本語では「アディーユ(Sic)」と言ってオスカルは死にます。でも仏語版ではアンドレの名をつぶやいて死にます。そして、ここからが問題なのですが、バスチーユ襲撃のあと、田舎(アラス?)で畑を耕しているアランのところにベルナール・シャトレとロザリーが訪ねていき、バスチーユ後のフランス革命を回想の形で駆け足でたどる部分です。
まず、例の有名な「パンがなければお菓子を食べればいいのに」とマリーアントワネットが言ったことに抗議する女たちがベルサイユにデモするところで、このフレーズはカットされています。これは、後にアントワネットがそう言ったのではなく、ジャンジャックルソーの「告白」の中にそれに似た記述があることからそれが誤って解釈されたということが定説になっているからのようです。
また、ルイ16世の裁判のシーンでサンジュストとロベスピエールの演説の内容がかなりソフトなものになっているようです。ベルばらでサンジュストは冷酷なテロリストとして描かれていますがフランス人は別の印象を持っているのかもしれません。さらに難しいのがロベスピエールの扱いです。フランス人のロベスピエールに対する感情は複雑きわまりないものがあるのだと思います。それは、有名な人権宣言を創案したのが他ならぬロベスピエールであること、しかし恐怖政治を行ったのもロベスピエールであることを考えると想像がつきます。しかし、ベルばらのこのあたりのくだりはあまりにも省略されていて、ブイエの名前は出てくるのに、もっと重要な鍵を握っていたラファイエットは名前すら出てこないし、他のフランス革命の英雄、ダントンだとかマラーだとかも登場しません。
日本語版のルイ裁判でのロベスピエールの演説は荒すぎる抜粋だとはいえ、彼の言葉を使っているのになぜそのままフランス語にしなかったのか、興味があったのでこの演説の全文をざっと読んでみました。実はロベスピエールは1792年の12/3と12/28に2回演説を行っているのですが、ベルばらで取り上げているのはこのうち12/3の演説だと思います。ベルばらの仏語版がどの部分を使ったのか思い出せないので、検証はできないのですが、この演説でロベスピエールが言いたいことというのはルイの生死ではなく生まれたばかりの共和国という概念についての国民に対する熱い啓蒙だったのではないか・・・という気がしてなりません。
また、最後にアントワネットがロザリーに託した白いバラのエピソードですが、日本語版ではこのバラは化粧紙で作られたことになっており、アントワネットはこれにオスカルの好きだった色をつけてくれとロザリーに頼むのです。そして、ロザリーはそれがわからないのでわざわざアランを訪ねてオスカルの好きだったバラの色を尋ね、アランは「オスカルは知らないけど、アンドレなら白がいいと言うと思う」と伝えるところでエンド(Fin)となります。しかし仏語版ではこのバラは絹の布切れで作られていることになっていて、「絹の花は枯れない」ということをオスカルとアンドレの不滅の物語に重ね合わせることでエンド、としているのです。

ウォロフ語のWindows?


Senewebの記事より。
MSとUCAD(ダカール大学)が共同し、2148のIT用語をウォロフ語化することに成功したそうです。
なんでも、これはWindows VistaとMS Officeのローカライゼーションに役立てるんだとか。
ウォロフ語を言語として守り、発展させるという文化的な意味においていいことですね。
セネガルの主要現地語であるウォロフはセネガル人ならほぼ100%が話し、現地語間の共通語としての意味合いがあります。また、小学校でも今はフランス語ではなく、ウォロフ語で授業が行われているようです。
また、ウォロフ語はアフリカの言語によく見られるように「ピジン化」「クレオール化」が進んだ言語でもあります。(日本語もそれに似ていると言えますが)つまり、よく使う外来語をウォロフ化して取り込むライブな言語なのです。ウォロフ語には公用語であるフランス語をはじめ、英語やスペイン語、イタリア語や別の現地語がいたるところにちりばめられており、今ではこういうクレオール化していない、純粋でオーセンティックなウォロフ語をじゃべれるのは田舎のお年寄りか、米国平和部隊の隊員だという話のあるくらいです。

でも、思い出したのですがUbuntuのインストール画面の言語を選ぶところにウォロフ語は出てくるんです。それも、Edgyの頃からすでにありました。わけわからなくなると困るのでウォロフ語で立ち上げたことないのですが、Ubuntuがすでに2年前に成し遂げていたのだったら・・・少々間の抜けた話ですね。

2008年7月2日水曜日

Leopard雑感


これを書いているMacBookには4月の中旬に入れたので2ヶ月あまり、店には導入して1週間あまりたったので、レビューします。
まず、アドミンユーザ1人で使っている場合ですが、これはほとんど問題はありません。ただ、Finder動作がアイコンのプレビューなどで少々スピードが落ち、もっさりした感じになるので、Finderがキビキビ動くという点ではTigerの方がいいです。特にRAMを1GBというLeopardの推奨最低限だとかなりもっさりします。2GBで普通に動く感じです。このあたり、Leopardはかなりメモリ食いだという印象。
Finderの新機能、カバーフロウ風表示やクイックルックはいい感じです。また、ネットワーク上のMacへのアクセスが非常に楽になって、ネットワークの管理者としては以前にもましてやりやすくなった気がします。また、画面共有というVNC経由の強力な管理方法が加わってこれも使いがいのある機能だと思います。
自宅で1台のMacという環境ではほとんど関係ないし、Leopard同士でないと動かないのが難点ですが・・・
さて、マルチアカウントの環境ですが、店ではアドミンユーザとゲストアカウントを設定し、客に使わせるときにはもちろんゲストアカウントを立ち上げています。これには機能制限(Parental Control)をかけていて、例えばDockの内容を変更したり、アプリケーションをインストールしたり削除したりすることはできません。これはネットカフェには必須の機能制限です。客の使った後にはしばしばインストールしようとした痕跡が残されています。その多くは.exeファイルで、これはWinでしか機能しないのでMac上では安全ですがこのダウンロードされた.exeファイルの数を見るとWinベースのネットカフェの管理の大変さが思いやられます。また、アプリケーションの中には自動的にパッケージが展開されて、アプリケーションをアプリケーションフォルダにコピーするタイプのものがあり、これは実際にはどこにコピーしても動くのですが、基本的にシステムレベルに何か書き込むことはないのでセキュリティ的問題は基本的にありません。
MacOS Xには「起動項目」にバグらしきものがあり、TigerでもそうでしたがLeopardでもなんか非常に不可解な形でいろんなアプリケーションが起動項目に加えられてしまいます。(なぜか減ることはないようです。)中にはインストール時のアシスタントのデフォルトで起動項目に加えるにチェックが入っていたり、環境設定で簡単に起動項目に加えられるものもあるのですが、(Microsoft Messenger等)、そういうものがないSkypeやらNeoOfficeやらはたまたPagesまでが起動項目に入ってしまうことも。
これが意外とやっかいで、Parental Controlをはずした状態でログインし、起動項目をはずしてログアウト、Parental Controlを戻して再ログインということをやらなければならないのです。
マルチユーザの設定をしていないMacや、起動項目の設定をしていなければこの現象はないみたいなのですが・・・
あとはauroraの壁紙の受けがよくないようで、オリジナルの壁紙に戻しました。

2008年7月1日火曜日

雨上がりの朝


昨日の夜、店を閉めるときに従業員のアリウンとムサが「雨が降りそうだ」と言いました。空を見ると確かに低空の雲が異様なスピードで動いているし、風も強かったので、全開にしていた窓を閉めて寝ました。そうしないと、時に暴風雨になり、寝ている間に家が水浸しになってしまうこともあるのです。でも結局降り始めたのは明け方のようでした。量も少なく雷も鳴りませんでした。
雷や暴風雨になるとまたまた停電や電話回線のトラブルになるのでほっとしました。
今回の雨は今年2回めで、最初の雨は6/24に降ったようです。ほぼ例年通りで雨期に突入という感じです。
さて、そんな雨の朝やったことはまずMacOS 10.5.4アップデートのインストールです。何台にも入れるのでまず自分のMacBookにAppleのサポートページからアップデータをダウンロードし、テストします。うまく行ったらそれをUSBフラッシュで各マシンにコピーし、アップデートしていきます。以前はAppleTalkでLAN経由でやっていたのですが、コピーに思いのほか時間がかかり、USBフラッシュでやった方が速いのです。Leopardは他のマシンのデスクトップを操作できるので、今度はそれを試してみようと思います。
ところでLeopardはかなりメモリを貪欲に消費するようで、512x2=1024MBのマシンでFinderの操作をするのにレインボービーチボールが回ったりします。仕方がないので、このマシンのメモリを2GBのシングルにアップデートすることにしました。
MacMiniを開けるのにはコツと1つの道具がいります。
以前MacWay(一応セネガルでのApple正式取扱店)で、サウンドの問題を直してもらったときに、帰ってきたマシンを見てびっくり。どうやらマイナスドライバでこじ開けたらしく、裏の普段は見えない部分ですがボーダーが傷だらけになっていました。これを見て、「以後は自分で直そう」と心に決めたものです。しかもサウンドの問題解決は実はメモリの差し替えよりも簡単なのです。カバーを開けて、マザーボードの右のボーダーの中間くらいにあるハードウェアリセットスイッチを押すだけ。
その必要な道具とは、特殊工具でもTORXドライバでもありません。お好み焼きをかえす「へら」です。ところが、こんなものセネガルにはありません。私も日本で買ってきました・・・そういう意味では一種の特殊工具とも言えるわけです。
そうして、手先の器用なアリウンに教えながら、MacMiniを開け、無事にRAM増設を終えました。それにしてもMacのシステムはまたまた肥大しているんだなと実感。Leopardインストールには11.7GBものディスクスペースを必要としますし、RAMは1GBが最低限必要です。
Pentium M 1.1GB/RAM512MBのマシンでCDからインストールできるUbuntu 8.04 Hardy Heronがけなげに見える雨上がりの朝なのでした。

カフェトゥーバ


セネガルの午後と言えばアタィヤ(たくさんの砂糖を加えながら中国茶をぐつぐつ濃く煮出したものを小さいガラスのデミタスに半分くらい注ぎ、泡をトッピングしたもの)と昔は決まっていたものです。しかし、最近ダカールでは忙しい人が増えたのか、昔はなかったネスカフェの移動販売やこのカフェトゥーバの行商をよく見ますし、売れているようです。
カフェトゥーバははっきり言って謎な飲み物なのですが、昔聞いたところではXylopia Aethiopicaという木の実で作るんだそうです。でも、この木はそんなにセネガルに生えているわけでもなく、ましてやトゥーバみたいな砂漠っぽいところには生えません。むしろ、セネガル南部の降水量の多い地域に生えている木です。
なので、多分等級の低い安いコーヒーに香辛料を足して作っているのだと思います。いくつかの香辛料が使われていますが全体には丁字と胡椒のようなスパイシーな香りで、やはりかなりの量の砂糖を加えてあり(でもアタィヤのようにベトベトはしません)暑いときに飲むと疲れがとれます。味は安いロビュスタ種のコーヒーそのものだと思います。
そういえば昔コートジボワールのコーヒー生産地帯に行った時、おみやげにコーヒーを買ったことがあるのですが、このまずいことといったら・・・はっきり言ってネスカフェの方がおいしいです。
そういうまずいコーヒーをおいしく飲むために考え出されたんじゃないか??と疑っています。
今、試験的にCYVOGUEでもカフェトゥーバを販売しています。一杯50FCFA(約12円)ですので、お立ち寄りの際はぜひ試してみてください。

追記:今探してみたらブレンドで売ってるみたいですね。ココとか。