2008年7月17日木曜日

植民地支配がアフリカに残したもの


アフリカ人と開発の話をしていると、たいがいヨーロッパ人による植民地支配の話になります。
もちろん、アフリカ独立の年と言われたのは1960年なので植民地支配は48年前までの現実だったのですが、日本の敗戦が1945年であることを考えると、そのスタートラインの差はわずか15年しかないし、徹底的に破壊された国土から立ち上がった日本に比べて、アフリカは旧宗主国が残したインフラを引き継いだわけですから、むしろ恵まれたスタートだったと考えられるわけです。
しかし、その後日本が非常に急速な発展を遂げたのに対して、アフリカの発展はとてもゆっくりしたものになっていきました。
まあ、アフリカ独立の年の4年後64年には東海道新幹線を開通させていることを考えると、日本の復興の速さは異常とも言えますが。

いったい、この差はどこで生まれてしまったのでしょう?

政治?教育?
戦後の日本の政治がアフリカの独立後の政治に比べて取り立てて優れていたとも思いませんし、教育などの制度が整っていて発展に必要な人材が揃っていたわけでもないと思います。
むしろ、アフリカ独立当時は例えばセネガルの落花生は高く売れていましたし、象牙のカカオもそうです。そういう自然資源とそれによる収入にアフリカは恵まれてもいたと考えられます。また、ヨーロッパに留学生を多数送っていましたから、優秀な人材も揃っていたはずなのです。

そうやって考えていくと、この相違を生み出す主な原因となるものとして、突き当たるのがやはり「植民地支配という歴史」なのです。

昔は「自分たちの無能をヨーロッパ人のせいにしてないで、とっとと働けよ・・・」と感じてしまったものですが、今考えると彼らは無能でもなく、自分の運命と向き合う勇気がないわけでもないのです。むしろ、そのように短絡的に感じてしまったその頃の自分は青臭く、未熟だったと思います。
日本にいる、あるいは先進国にいるアフリカ人を見ているとわかります。彼らは言語にしろ文化にしろとても柔軟にとけ込みます。アフリカ人同士で固まってるという印象もあるでしょうが、外国で日本人や中国人が作ってる「村」に比べれば彼らのコミュニティはオープンに見えます。それに、アフリカにいるアフリカ人よりももっとハングリーに、運命論に流されず、自分の人生を切り開いていく力を持ち、そういう努力もしています。
つまり、先進国という環境に置かれればアフリカ人は立派な先進国人になるということなのかもしれません。
もちろん、祖国を離れることによって大家族というお荷物から切り離されて、比較的小さな単位で家族とその支出をマネージメントできるというアドバンテージを先進国で暮らすアフリカ人は持っているわけですが、別に先進国でなくてもCEDEAOであればアフリカのどこでも働けるわけだし、アフリカ人が先進国でやるのと同じくらいの努力をアフリカでやれば、きっと成功するんじゃないかと思います。

もちろん、アフリカではのんきな私でも頭を抱えてしまう停電をはじめとする基本インフラの問題がありますし、失望しか生まない政治の現状とか、腐敗した官僚とかそういうマイナス要因もたくさんあることは事実です。

では、植民地支配という歴史がアフリカに残したもの、アフリカ人が自分の国を良くしていこうとすると、足を引っ張るもの・・・それは実体のない一種の「呪い」のようなものなのかもしれません。

この土地では努力しても報われないという思い込み。
文学的な話になってしまいますが、アフリカのこの運命論は「人」に根ざしたものでなく、「土地」に根ざしたものなのかもしれません。
セネガルでは組織のトップに外国人がいる方がうまくいくことが多いのですが、それは一種のおまじないみたいなもので、トップがその呪いの影響を受けない外国人である、という象徴的な意味でそうなるのかもしれません。

1 件のコメント:

ぶち姐 さんのコメント...

はじめまして。
ヨルダン帰り、福島在住。
アフリカが大好きなぶち姐さんです。
先週、アフリカ会議が終わりました。
意味があるのかないのか、ちょっとよくわからないのですが・・・。
セネガルの情報を楽しみにしています。

http://kazitabonita.blog133.fc2.com/blog-entry-208.html