2008年11月6日木曜日

クレオールとネグリチュード

昨日、オバマ大統領に関して「クレオール化」と言いましたが、これについてもう少し考えてみたいと思います。
クレオールとネグリチュードは反対の概念で、そもそもの意味やエティモロジーを模索しても意味ないので、今日的な意味でどういうことかというと、クレオール化とは人種や文化が「混ざりあって新しいものを形成していく」というベクトルであり、ネグリチュードは「混合を拒否し、本来性へと逆行する」ベクトルだと言えると思います。
しかし、この2つは対立する概念でありながら共存することが多いという非常に分かりづらい面を持っていると思います。その最たる例がセネガルの初代大統領レオポルド・セダール・サンゴールではないでしょうか。彼はネグリチュードの信奉者であり、アフリカニズム、アフリカ中心主義者であったにもかかわらず、フランス、特にノルマンディーをこよなく愛し、ノルマンディーで最期を迎えています。また、フランス文化とフランス語をこよなく愛していました。
この、対立と共存が問題なく混交する部分が最も「西欧的でない」部分であって、この部分を理解することはできなくても容認することがクレオール化との共存の鍵を握っていると思います。
日本にも「和洋折衷」という一種のクレオール化に近いものがあるとは思うのですが、和洋折衷は実はクレオール化からは最も遠いものかもしれません。というのは和洋折衷とは和式と洋式の中で極めてプラグマティックに両者の「いいところ」を結合させるやり方だからです。これはそのプラグマティズムが徹底的に西洋的なので、やり方において和式が入り込んではいない。クレオール化はこのマイナス部分、闇の部分まで完全に混じっていくのです。これは、混血と同じで、混血というのは両親の双方の人種の持つ優位点を選択して取得するものではなく、欠点も同じく両方取得することになる。あるいは非常にランダムな形で取得が行われる、というのに似ています。
さて、オバマ大統領に話を戻しましょう。
確かに現在のアメリカは「変化」を必要としています。ブッシュ政権はもうこれ以上は考えられないほど最悪な状態にアメリカを、そして世界を落とし込んでしまいました。しかし、変化という意味ではアメリカは往々にして「やりすぎ」な感があります。そもそもブッシュそのものがアメリカ人の「やりすぎ」の産物だったのです。そして、オバマ大統領も「やりすぎ」になる可能性はあるのです。その部分をうまく制御できるかどうかがオバマ政権がアメリカにとってそして世界にとってよい方向に持っていくカギとなる気がします。

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