2009年4月20日月曜日

Togo:ニャシンベ家のお家騒動?


今日はベナンとガーナに挟まれたトーゴのことを書きます。
トーゴを取り上げるのははじめてなのでアウトラインをざっとご紹介すると、トーゴは東をベナン、西をガーナ、短い北をブルキナファソと接している小国で、もともとポルトガルの植民地(ベナンと同じく)でしたが、その後ドイツ領となり、さらにガーナ側の英国領に統合されたという歴史を持っています。民族的にはガーナ→ベナンと連続性を持っていて、今は公用語フランス語ですが英語をしゃべる人も多いようです。セネガルなどと同じく1960年に独立しましたが、1963年に初代大統領オリンピオ大統領が暗殺され、建国につまづきます。67年にクデターによってニャシンベ・エデヤマ大統領が政権を奪い、ここからニャシンベ家のディナスティーがはじまるわけです。エデヤマ大統領は2005年に病死するまで40年近く大統領の座につきました。そしてその後は次男のフォール・ニャシンベが大統領となります。アフリカでもこのように世襲を行う場合、長男が継ぐのが普通ですがニャシンベ家の長男エルネストは脳出血で急死してしまいます。次男のフォールが継いだのはそのためですが、その際すでに三男で異母兄弟のクパチャとの間で後継者争いがあったようです。解決策としてフォールが大統領となりクパチャが国防相となることで落ち着いたのです。しかし、2007年にフォールはクパチャを国防相の座から引きずりおろします。実はニャシンベ家には4男のロックがいるそうです。ロック・ニャシンベもフォールの異母兄弟ですがサッカー連合を率いて2006年のワールドカップに参加しましたがその後2009年にサッカー連合から放り出されています。しかし、フォールやクパチャとロックの違いはロックが職業軍人としてのキャリアを持っていることだそうです。
ここで、最近のお家騒動となるわけです。トーゴでは来年大統領選を控えていますし、独立後今までまともな政権交代を行ったことがありません。エデヤマが政権を握ってからずっとニャシンベ家が政権を持っているわけで、もちろんフォールは再選を狙っています。ここで目の上のたんこぶとなるのがクパチャの存在です。クパチャも2005年に取り損ねた権力の座を取り戻そうとするでしょう。そこで、フォールはクーデター未遂容疑でクパチャを襲い、クパチャの自宅を襲撃しました。この襲撃を指揮したのはフォールの妹の婿であるカダンガ大佐です。一方、その襲撃に介入したのがロックの率いる秘密警察部隊でクパチャの命を救ったとされています。
ということでこれから来年にかけてトーゴではこのニャシンベ家のお家騒動が激化しそうな気配です。
ちなみにクパチャには双子の弟でビジネスマンのトイがいます。また、異母兄弟のエソリザムはクパチャの腹心ですが、クパチャのあと逮捕されています。末弟のメイはフォールの大統領府に登用されているそうです。
この記事はRFIがこのニャシンベ家のディナスティーを記事にしていて、それをもとにしました。またAfrik.comがフォールとクパチャの確執に特化した記事を掲載しています。別の記事でトーゴの憲兵隊がクパチャのクーデター計画を裏付ける押収された大量の武器を公開したそうです。(Afrik.com

余談ですが、トーゴは旧ドイツ領ということもあってビールが有名です。また、ロメの港はコトヌ港よりも手数料が安く、またラゴスよりも安全ということで近年取扱量が増えているようです。

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