2008年9月9日火曜日

「環境」というものの難しさ


「環境」というものが、いろいろな事業を行う際に配慮するべきもの、あるいは環境配慮を目的とした事業がもてはやされるようになってからかなりたちます。しかし、環境というのは非常に漠然とした言葉であり、それがカバーする範囲はとても広い。それゆえ、どんなプロジェクトでもやろうと思えば環境に関連づけることが技術的には可能です。言うなれば、実施主体の一種の意思表示のようなものにすぎません。
20数年前、アフリカは大きな旱魃に襲われ、「砂漠化」という終末論的な言葉が一人歩きし、植林プロジェクトに多額の資金がつぎこまれました。これらのプロジェクトの遺跡はセネガルでもそこここに見ることができます。突然現れる整然と並んだユーカリの林がそうです。ユーカリはオーストラリア原産の植物で乾燥に強く成長が早いので、植林に最適とここらあたりに持ち込まれたのですが、後になって「ポンプ効果」といって、地下水をどんどん吸い上げて蒸散させてしまうということがわかり、また、葉に毒性があるので、ヤギ以外は食べないということもわかって、このような遺跡になって放置されているのです。もちろん、この時代に行われた植林プロジェクトすべてが悪いとか失敗だとかいうのではありません。中には住民の役に立ったプロジェクトも多いと思います。しかし、「環境」をメインの目的に据えた事業はそういったリスクを背負うのです。現在では「砂漠化」というのは地球規模でのサハラ砂漠の移動や、乾燥と多雨のサイクルであったというのが一般的な見解となっています。
最近の「環境」のトレンドは、言うまでもなくグリーンエネルギーでしょう。しかし、これもなんだかわけのわからない方向に進んでしまうことがあります。例えば9月3日にASER (Agence Senegalaise de l'Electrification Rurale=セネガル村落電化機構)と世銀との間で実施が決まったセネガル村落電化プロジェクトですが、内容をよく読むと、村落電化とはいっても発電施設ではなく、ただ低消費電力な蛍光灯電球を大量に調達して村落の夜に光を届ける・・・というものなのです。これが世銀のCDM (Clean Development Mechanism) つまり温室ガスを減らすというプロジェクトの一環として行われるそうです。プロジェクトの詳細はココで確認してください。
確かに蛍光灯電球は消費電力が白熱球の1/6ほどでCO2削減には貢献するのですが、それだけ大量に入れてしまえば消費電力の総量が減るとも思いませんし、事業主体のSENELECは電力を売る商売をしているのです。しかも、SENELECの発電施設は最もCO2効率の良くないディーゼル発電機なのです。せっかく、こういう資金があるのならなぜもっとクリーンな発電施設につぎこむことができないのでしょう?
小さな村なら、風力発電機1基でも、必要電力(電球くらいなら)をまかなうことができるはずです。また、最近ではほとんどメインテナンスフリーの太陽光発電による街灯もかなり普及してきています。こういった、クラシックな電力会社依存型の電力供給から脱出する形での電化プロジェクトこそ、CDMにふさわしいと思います。

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