2008年11月24日月曜日
Guinee-Bissau:ギニアビサウでクーデター未遂
セネガルの南にある小国ギニアビサウでクーデター未遂が起きました。
これは昨日の土曜に起きたらしいのですが、発表はセネガルのワッド大統領が今朝行いました。ギニアビサウのビエイラ大統領から電話連絡を受けたということです。
ギニアビサウでは国際機関の立ち会いのもと、国会議員選挙が去る16日に行われたばかりで、その結果は反ビエイラ大統領の大勝となっていました。実は今年7月に今回の選挙で100議席中67席を得たPAIGC党はビエイラ大統領の内閣を去り、8月にも不発に終わったクーデターがありました。ワッド大統領はビアイラ大統領に亡命の意志を確認しましたが、現在のところ亡命する意志はないということです。
さて、このギニアビサウという国ですが、成り立ちはややこしく、ギニアビサウを語るにはセネガルに南北と東を囲まれたガンビアとガンビアとギニアビサウの間のセネガル=カザマンス地方とセットで語る必要があります。この3つの地方は住む民族も似通っており、ガンビアと北部カザマンス、ギニアビサウと南部カザマンスは同じ部族に属します。現在のようにわけられたのは旧宗主国の関係でガンビアはイギリス領、セネガルはフランス領、ギニアビサウはポルトガル領だったわけですが、さらに歴史をさかのぼると、最初にギニアビサウを植民地化したのはフランス人だったのです。逆にカザマンスを最初に植民地化したのはポルトガル人でした。そして、後にフランスとポルトガルの間でカザマンスとギニアビサウが交換されたというわけです。
このややこしい植民地化が90年代に「カザマンス独立運動」として浮上します。これは最初セネガル国内の問題でした。しかし、反乱軍は時にガンビアに逃げ込み、時にギニアビサウに逃げ込み、これらの国から一種の援助を受けていたとも噂されます。ワッドが政権の座についてからは独立運動の首謀者がフランスに亡命し、実質カザマンスとの直接的つながりを失ったことなどから落ち着きを取り戻していますが、もしかしたら今回の一連のギニアビサウの不安定な状態の後ろにはこのカザマンス問題が見え隠れするような気がします。また、まことしやかに語られていた「シエラレオネ内戦の際にかの地に入り込んだ傭兵がカザマンス問題を煽っている」ということに少しでも事実に近いものがあるとすれば、その傭兵の影も今回のギニアビサウ問題に見え隠れします。今回ワッド大統領がこの問題に関わっているのもカザマンス問題を重く見ている現れかもしれません。
とにかく、これは今後もくすぶりそうな問題であります。
余談ですが、カザマンスの中心都市はジガンショールといいます。この都市はポルトガル人の植民都市だと言われていて、ジガンショール(Ziguinchor)という名前の由来について、現地語ではなくポルトガル語の「座る」というsitと「泣く」というchorarから来ているという話もあります。
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