2008年11月27日木曜日
Africa:アルビノに対する差別
アルビノとは先天的白皮症のことで、皮膚を黒くするメラニンが先天的に欠落することです。皮膚の色が濃いアフリカ人にもアルビノの人はいて例えばマリのミュージシャン、サリフケイタがそうです。
セネガルでもアルビノの人を時々見かけますが、ここではアルビノは一種の身体的障害と見られて、彼らは隠れるように生活するか、あるいは子供の時分に家族に見捨てられて、路上で物乞いをしています。
彼らは見かけから違いがはっきりしているので逃げも隠れもできず、差別やいじめの被害に日常的にあっています。
アフリカというと、大家族だとか社会全体で子供をそだてるような互助組織だとかそういう「いい面」を持つ社会であると同時にとても陰湿な差別やいじめを抱えた社会でもあるのです。もちろん、先進国にもこれらの社会の暗部は歴然としてあり、特にアフリカの社会に限った現象ではないのですが、差別に苦しんできた人がその人たちの社会の内部で差別をしているというのは人間という生き物の業を見せつけられる気がするのです。
最近特に問題となっているのがブルンジやタンザニアでアルビノの人々が誘拐され、臓器を奪われるという事件が起こっていることです。これらの地方では土着の呪術にアルビノの臓器が高い効果を発するとされていて、非常な高価で取引されるとも言われています。
こういうのを聞いてしまうと、先日ベナンでの墓荒らしの話もしましたが、あれなんかはまだかわいいものだと思えてきます。
呪術の怖さというのは、それが超自然的パワーを扱うだけに、それが一般的なロジックを超越してなぜか信じられてしまうことにあるのだと思います。よってこれは近代的な教育の普及によって基本的には徐々に解消していくものだと言えるのですが、これだけ近代教育が徹底された日本などでも、星占いや血液型占いが本気で信じられたりしているところを見ると、これは「信じたい」という欲望から「信じる」のだと考えざるを得ないわけで、なくならないのかもしれません。
ブルキナファソの有名なTVコメディに「ボボジューフ」というのがあります。これにスレイマンというマラブー(呪術士)が出てくるのです。彼はモダンなマラブーで、ラップトップのコンピュータを使って呪術を行い、souleymane.bfというドメインまで持っているという設定です。ネットカフェに来る客の中にも、特にかなりお年を召した人の中に、コンピュータが一種の「魔法の箱」だと思っている人が時々います。それはそれで楽しいことですが、そういう思い込みがなくならない限り、アルビノに対する偏見と差別もなくならないのかな、とも思います。
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Africa
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