2008年6月13日金曜日
昨日のつづき
シナリオ、それは適切な因果関係で流れを作っていくことだと思います。しかし、今の貧困対策には決定的にこのシナリオが欠けているのです。ごく単純に考えてみましょう。貧困とはなんでしょう?基本的に貧困とは貨幣的な貧困のことです。ありていにいって「お金がない」ということです。つまり、貧困対策とは究極的には「どうやってお金を人々が手にすることをできるようにするか?」ということになります。
ここで、貧困対策の柱となっているもの、基礎教育、保健、農村開発を考えると、これは必ずしも直結していないのは明白だと思います。しつこいようですが、この3つは開発において重要な分野なことに間違いはありません。でも、これをやって、どのように貧困を削減できるのか、それを誰にでもわかる形で説明しきれてないし、他のもっと直接的に貧困削減を減らせる分野を放置する原因になってしまうのは本末転倒な気がします。実際、貧困対策が言われ始めてもうかなりたちますが、明らかに貧困が軽減したケースはほとんどないのではないかと思います。基礎教育や保健はそれを充実させることが収入には直接結びつきません。むしろ、貧乏な人にさらに出費を強いるケースがほとんどです。もちろん資金を投入すればそれらの出費を最小限に抑えたりすることはできますが、それは持続可能ではないのです。また、農村開発はいいことですが、現金収入をもたらす商品作物は政府が買い取るわけで、これらは国際市場の価格に左右されます。多く生産すれば価格が下がるわけで、農村の収入は劇的に増えることはありえません。そうなると、人口が増加すれば人口は都市に流れていきます。となると、農村開発はだんだん裨益人口が減少し、非能率になっていくのです。
アジアの発展はやはり都市化がもたらしたものだと思います。もちろん、アフリカをアジアと同じシナリオでとらえるのも間違っています。が、アジアの発展を1つのモデルとするのは間違っていない。また、急速に発展しつつある東欧も1つのモデルになりうると思います。
しかし、都市化とそのエンパワーメントには適切な経済政策が必要でしょう。アフリカの抱えている問題は案外そのあたりにあるのかもしれません。
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Africa
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