「もし、我々が最初からオープンテクノロジーを採用していたら、今頃Appleに勝利していただろうと私は思う」(Engadget)
SONYのサー・ハワード・ストリンガー会長が日経エレクトロニクスアジアのインタビューに答えて語ったそうです。
このブログに書いたかどうか記憶にないのですが、これは私が常々思っていたことなのです。もちろん、今回のストリンガー会長の発言は音楽に限ったことなのですが、私はSONY全体に言えることだと思います。
Appleは今でこそ、ほとんど絶対的とも言えるブランドを確立していますが、かつては暗黒時代がありました。一般にそれはスカリーCEOの時代、1990年代にジョブスを追い出したときと言われており、その暗黒時代の終焉はジョブスが復帰してiMacを出すときとされています。実は私がMacと出会ったのはこのAppleの暗黒時代でした。しかし、暗黒時代とは言ってもAppleの提供していた世界はものすごく衝撃的な世界だったのです。実は私はAppleに出会う前はSONYを愛用していました。ベータマックスを3台持っていたこともあります。そして、Appleが私にとって特に魅力的だったのはトリニトロンモニターを使っていたこともあります。実際、この時代はAppleとSONYの蜜月時代でもあります。一時は業績が悪化したAppleをSONYが買うのではないか?という噂すらあったと思います。そして、MacOSのライセンス提供があったとき、SONYが来るのか??と期待したものです。今もしAppleがMacOSのライセンス提供を行うとしたら、まずまちがいなくSONYは飛びつく気がします。もちろん、Appleがそんなことをすることはまず絶対にないと思いますが・・・しかしSONYは来ず、VAIOはこともあろうにWindowsのパソコンとなったのです。実はこの時代、業務用としてはワークステーションが全盛でした。NeXTもワークステーションですし、シリコングラフィックスのIndigoがグラフィック用としてもてはやされていました。そのころSONYはNEWSというワークステーションを出していたのです。つまり、SONYにはパソコン用のOSを開発するだけの素地があったと思います。しかし、そのころ世の中のテクノロジーの常識の中でものすごく重要視されていたのが「互換性」でした。そしてSONYはベータマックスで互換性の痛い目にあっていました。これがWindowsの安易な採用をしてしまった主な原因でしょう。VAIOはそれなりにキャラクターを持ったPCだし、スタイルなどでの差別化の努力は涙ぐましいものさえ感じます。しかし、決定的なのはいくらVAIOががんばってもWindowsに縛られる、ということだったのです。強みだったはずの互換性が、他のものとかわらない、差別化を妨げる決定的な要因になってしまったのです。これはコンピュータのソフトウェアの互換性とベータとVHSのようなハード的な互換性が全く性格を異なるものだということもありますし、その違いの中でインターネットが登場してすべてのコンピュータが共通のプラットフォームで動くというものが標準化されたという革命的な技術革新もあったわけです。しかし、SONYには何回も自社OSを開発する機会があったと思います。それをすべてみすみすのがした上、ドル箱になるはずだったVAIOは他のメーカーとの熾烈な競争に晒され、力を盛り返したAppleが音楽産業全体まで巻き込んで、新しいビジネスモデルを作ってすっかりお株を奪われてしまったわけです。私は今からでも遅くないと思います。最近のLINUXデスクトップはとても優れていますし、これをカスタマイズして使えばVAIOは魅力的でオリジナルなPCに生まれ変わるでしょう。MSからVAIOを解放してやること、これがVAIOを救う唯一の道という気がします。ちなみに、オリジナルOSのVAIOが出れば、私も買ってみようと思うでしょうね。
4 件のコメント:
AppleのMacOSはオープンソースじゃありませんよね。
どう考えます?
私はストリンガー会長の最近の発言と行動を危惧してます。社内でもみんな困っています。
VAIOに積んでるOSがトロンだったら
世界で全く売れなかっただろうよw
それから現在NetbookにおけるWindowsのシェアは96%
書いてる事支離滅裂としてて結局のところ
AppleとSONYを強引に結びつけてシッタカ
したいだけなんすかね?
なにいいたいかわかんね。
匿名さん、
コメントありがとうございます。MacOSはオープンソースではありません。しかし、OSX開発の際にはオープンソースをコア部分に使っています。別にすべてをオープンソースで作らなければならないわけではないと思うんです。
確かに外部の人の発言としてはいいかもしれませんが、企業トップの発言としては軽すぎたかもしれませんね。トップが危機感を持っているのを示すということでは意味があるのかもしれませんが。
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