2009年5月5日火曜日
Africa:宗教と人道
先日、ローマ法王ベネディクト16世がカメルーンとアンゴラを歴訪した際にコンドームの使用がHIV感染対策にならないと発言し、問題になりました。まあ、これは法王の発言の一部だけを抽出してマスコミが煽ったとも言えますが、法王ともあろう人の発言としては少々軽すぎたとも言えます。しかし、宗教関係者というのは時として一般的な人々の感覚とちょっとズレている場合が結構あるものです。
そして、アフリカでは時にこれが土着信仰とミックスして恐ろしい事態を生み出すことがあります。
セネガルでは昨年12月に同性愛者が逮捕され、8年という実刑を言い渡されました。しかし、彼らが活発なAIDS対策の運動を行っていたこと、そして通常なら最大5年の刑のところを、そのAIDS対策運動が「悪の結社」であるとして8年に増やされていたことから国際社会から大きな反発を受け、最終的にはフランスのサルコジ大統領直々の介入によって釈放されました。(BBC)セネガルはちょうど同じ時期に国際エイズ対策会議をホストしてHIV感染を食い止めることを明言していたのですから、ダブルスタンダードもいいところです。セネガルは結構司法がしっかりしていて、以前はこのように一種の宗教的価値観が司法判断に入り込むことが少なかったのですが、落ちたものです。
次はブルンジが、同性愛を違法化する法案を作ってしまいました。(JeuneAfrique)これまたフランスのラマ・ヤッド人権担当国務長官が出向いて抗議をしています。ブルンジはルワンダの南にある小さな国です。そして民族的にもルワンダとほとんど同じことから、ツチ/フツ抗争が常にあり、ルワンダと同じように虐殺がありながらルワンダの陰に隠れてしまって、ほとんど注目されることはありません。国民は貧乏にあえいで仕事もないのに、こんな自己満足でしかない法律を作っているヒマがあるのならそのエネルギーをもっと有意義なことに注げないのでしょうか?
しかし、実際はというとアフリカの中でも貧乏な層が最も宗教にハマリやすいようなのです。そして貧乏人の間で無駄な争いをしてさらに貧乏になるという負のスパイラルが生じます。昨年のナイジェリアのジョスでの騒動などを見てもそれがよくわかります。
宗教はもともと人と人とをつないで共存するためのものではなかったのでしょうか?
それとも、自分とは違う人間を糾弾して社会から追い出すためのツールなのでしょうか?
BBCによると、今度はセネガルでまたまた墓が荒らされ、同性愛者と見られる死体が掘り起こされていたそうです。
多分狂信的なイスラム教徒の仕業でしょうが、いったい夜中に墓に侵入して死体を掘り起こすという、オカルトそのものな行為と神を信じるということとどこでどうやってつながるのか理解に苦しみます。墓荒らしはベナンなどでは悪いヴオドゥンの儀式を行うためにやることですし、たいていの宗教で悪いものにつなげてとらえられています。もし、その人が信じる神が「墓を荒らせ」と言ったとするならその神は神なのではなく悪魔なのではないか?とも思います。このように人の道を踏み外すための宗教など、有害でしかありません。
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